江戸川区球場

99年6月5日、正午少し前に営団地下鉄・東西線の西葛西駅に降り立つ。地下鉄といってもここから終点の西船橋まではずっと高架駅である。

駅から南へ約300m、5分も歩けば江戸川区球場に着く。非常に交通の便のよい立地である。

球場のある一帯は「江戸川区総合レクリエーション公園」といい、西葛西6丁目(西葛西駅前)から南葛西7丁目(旧江戸川沿い)にかけての約3kmにわたって細長く東西に延びた公園である。そしてその最西端に球場は位置している。

その公園では子供が水遊びをしたり、家族連れが芝生の上で弁当を食べていたりした。とてものどかな土曜日の午後である。デーゲーム観戦にもちょうど良い気候だ。

さて、この日のゲームはイースタンリーグ・ヤクルト−西武。この球場では年に数試合ヤクルト主催の二軍戦が行われる。また高校野球の東東京予選にも毎年使用されている。ちなみに球場のスケジュール表を見ると、翌日には関東一高の招待試合が予定されていた。

そして球場正面のロビーには、92年に当球場で行われた「少年軟式野球世界大会」での秋篠宮親王と紀子さんの始球式(アメリカ式のスタンドから投げ込むスタイル)の写真が飾られていた。

入場料800円を払い入場する。売店の前を通ると西武の選手が飲み物を買っていた。ちなみに売店で売られているものは、カップヌードル(250円)、やきそば(400円)、缶ビール(350円)、その他お菓子類。あまり大したものは売っていない。球場のすぐとなりに「ローソン」もあるので、飲食物は外で買っていったほうがよいだろう。

開設は84年9月。両翼90m、中堅118m、照明塔6基、収容人員は4000人くらいと思われる(外野芝生席はこの日未開放)。

スコアボードは得点表示以外は手書きだが、チーム名表示が帽子のマーク(YSとレオ)で描かれていた。また、スコアボード上方には昨年の「ファーム日本一」のチャンピオンフラッグが翻っていた。

さて、スタメンの発表。ヤクルトはスミス、池山といった一軍クラスの選手の名があった。そして先発は岡林。私は今年ヤクルトの二軍戦を見るのは3試合目なのだが、すべて岡林が先発投手である。一方西武の先発は豊田。

1時試合開始。1回表に西武が無死満塁から4番玉野のセカンドゴロ併殺崩れの間にあっさり1点がはいる。しかし試合はこの後、膠着してしまう。

このまま併殺崩れの「スミ1」が決勝点になってしまうのかと思われた8回裏に、ようやく試合は動いた。ヤクルトは無死1塁の場面で代打に小早川を起用。ここで球場が沸き上がる。一塁側のヤクルトファンは小早川の応援歌を歌いだす。しかし結果は見逃し三振。

しかし続くユウイチ松元が左中間に同点二塁打を放つ。するとヤクルトファンは今度は東京音頭を歌いだした。そして傘も振りかざされた(といっても2本だけ)。

だがヤクルトの反撃もここまで。9回表に西武はヤクルト3人目の斉藤から高山、赤田の長短打で決勝点を奪った。9回裏も豊田が3者凡退におさえ完投勝利。

さて、この日の観客について。人数は約350人だった。天気も立地も良いわりにはやや少ない。

目についた人たちを順に挙げると、まずは三塁側には選手名のボードを掲げた西武ファンの女性2人組。いろんな選手のボードを用意していた。

一方一塁側には、スケッチブックを使ってその場で応援ボードを書いていた短パンの男性(この人はヤクルトの二軍戦でよく見掛ける)。そしてそのまわりが前出のヤクルトファンのたまり場。

また、ネット裏には上半身ハダカで、さかんに野次を飛ばす坊主頭でサングラスのコワモテのおっさん。

そして、さかんに席を移動して見ていた、広島西田コーチ似の人(この人も二軍戦でよく見掛ける)、といったところが目についた。

なお、6月19、20日にもヤクルト−ロッテの二軍戦が予定されていたのだが、6月8日に急遽戸田グラウンドへの球場変更が発表された。実はダラ球会では20日に観戦会を予定していたのだが、やむなく中止にした。

球場変更になった理由を一応ヤクルト球団に問い合わせたところ、「いろいろな事情で」と、はぐらかされてしまった。そして、球場の方にも聞いてみたら、ヤクルト側の一方的な理由とのことであった。

一体何が起こったのだろうか?

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