藤井寺球場

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近鉄の前身の一つである大阪鉄道(現南大阪線)により1927年11月着工され、翌1928年5月25日開設。その歴史は甲子園、神宮に次ぎ意外と古い。球場一帯は大阪鉄道の「藤井寺経営地」として開発され、野球場と合わせて「教材園」という遊園地(現在は閉鎖)や住宅地も同時に建設された。この住宅地の存在が後に球場の運営に大きく影響を及ぼすことになる。

開場式は同年5月27日。当然まだプロ野球など無い時代なので高等小学校、中学校などによる試合で幕が開けられた。その後しばらくは基本的にアマチュア野球に使用され、1リーグ時代にプロ野球公式戦が開催されたのはわずか4試合のみだった。

1950年に親会社の近鉄がプロ野球チームを結成。ただし当初は立地が良く照明設備のあった大阪球場を主に本拠地として使用した。その後1958年に照明設備が完成した日生球場に本拠地が移転。藤井寺は長らく近鉄バファローズの準本拠地的な位置づけとして、土・日のデーゲームを中心に使用されるにとどまった。

しかし1972年7月に名実ともにバファローズのフランチャイズとすべく、内外野席の増改築、照明塔新設工事に着手。しかし騒音による「ナイター公害」を懸念する近隣住民との紛争で照明塔工事が中断。約10年後の1983年9月26日にようやく反対派住民との裁判が結審し、同年11月21日に工事が再開。翌1984年4月6日に照明塔が完成し、本格的にフランチャイズ球場となった。

1985年には内野を除いて人工芝化、1996年には翌年からの大阪ドーム対策として、内野にも人工芝が敷かれる。そして1997年の大阪ドーム完成に伴い、バファローズ二軍のフランチャイズや高校野球大阪大会などで主に使用されていたが、球場の老朽化と近鉄球団の消滅により2005年1月をもって閉鎖された。

また、隣接して選手寮「球友寮」や室内練習場を併設。球友寮は2000年10月に総工費4億円で、4階建てで流水プールなどを有す豪華なものに全面改築された。

入場ゲート
   
球場正面 場外のグッズ売店
   
外野席入場券うりば(左の建物は室内練習場) 観客席入口
   
旧・球友寮

グラウンドは両翼97.6m、中堅120m。外野フェンスは元々直線的だったが、グラウンド側に曲線的なフェンスを増設したため、外野席とグラウンドの間に空間が存在。その中はブルペンとして利用されている。照明塔は6基。観客席はネット裏でも上の方の席は背もたれが無い。

スコアボードはプロのフランチャイズ球場では最後まで残った手動式であった。ただしスコアボードの右側には球速、打率などを表示するミニ電光掲示板が存在する。また、ライトスタンド上部には手動式の「他球場速報板」がある。

ネット裏から
   
一塁側から 三塁側から
   
内野が土だった頃
   
スコアボードとミニ電光掲示板
   
他球場速報板 ネット裏観客席

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