「南海ホークス メモリアルギャラリー」を訪ねて

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さて、ではさっそく展示物を見てみよう。あぶさんのパネルの右側には展示ケースがあり、その中には南海最後の監督である杉浦忠監督のユニフォーム、「親分」こと鶴岡一人監督のスタジアムジャンパー、優勝トロフィーや賞状などの記念の品々が鎮座していた。特に1959年の日本シリーズ対巨人4戦全勝時のペナントが誇らしげだ。

記念品展示 日本チャンピオンのペナント
   
杉浦監督のユニフォーム 鶴岡監督のスタジアムジャンパー

その右には大型スクリーンがあり、前述の1959年の日本シリーズや百万ドル内野陣といった古い白黒映像が流れていた。個人的には1970年代〜80年代あたりが印象が深いので、その時代の映像が見たかったところである。でもその頃はあまりいい話題がないか…。


大型スクリーンのモノクロ映像

そして次は「大阪スタヂアム」と「南海ホークス」の年表。大阪スタヂアムは1949年の発起人会から1998年の解体工事まで、南海ホークスは1938年の秋季リーグ参加から1988年のダイエー譲渡までが当時の写真も交えて綴られている。

大阪スタヂアム年表 南海ホークス年表
   
南海ホークス大阪球場最終戦のスコアボード

続いて右側へ進む。ベンチのある通路のようなところの窓には、御堂筋パレードや1959年の日本一ペナントを前にしたナインの集合写真などが貼られている。

ここで一つ疑問が。既にあちこちで言われているように、このギャラリーには南海ホークス球団史に欠かすことの出来ないはずの野村克也の名前が一切無い。なんでも本人が断ったという話があるようだ。そしてこの集合写真の中にも野村の顔が見当たらない。いくらなんでも写っていないというこは無いだろう。ということは写真に何らかの修正が施されているということか? オリジナルの写真と見比べてみたいものだ。

そして通路を挟んで右側には、「投手」「打者」「野手」というカテゴリーに分類された選手の紹介。その合間には「南海ホークスがあったころ」の著者である橋爪紳也氏と水島新司のコメントが挿入されている。

投手 打者
   
野手
   
橋爪紳也氏と水島新司のコメント

「打者」のところには香川伸行の紹介があった。香川は知名度があるがここに掲載されるほどの実績を残してないのではと思ったが、1983年に規定打席不足ながらベストナインに選ばれていたんだね。これは失念していた。

最後にまた「あぶさん」のイラストパネルがあり、そこで展示は終了。思ってたよりも展示物が少なく、ちょっと物足りない気持ちが残った。とは言え大阪球場の跡地に、何らかの形で南海ホークスの痕跡を残してくれたことには感謝したい。

このあと8階に上がり円形劇場へ。ここの観客席は大阪球場の外野席を模したものらしい。外には難波駅に到着する南海電車が望めた。たしか大阪球場の客席最上段からも電車が見えたっけ。

円形劇場の観客席
   
なんばパークスから南海電車を望む

その後の「南海ホークス メモリアルギャラリー」へ

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