平和台野球場

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1992年9月5日、この年を最後に福岡ドームへ本拠地の座を明け渡す平和台球場へ行った。九州の地に足をおろすのはこれが生まれて初めてだった。

まず、午前11時開始のダイエー−阪神の二軍戦を観る。たしか入場無料だったと思う。

印象に残っているのは、球場の上を何度も飛行機が通過していったこと。福岡空港は市街地に近いため、かなり低空で飛んでいた。

それと腹が立つくらいの暑さ。観客席には日傘の花がいくつも咲いていた。私は傘も帽子も持ってなかったので、タオルを頭に乗せた。

試合は桧山、萩原(誠・現近鉄)のホームランなどで阪神が4-2で勝つ。

この日ナイターでダイエー−西武戦があったのだが、すでにチケットは売れ切れだった。しかたなく翌日のゲームのチケットを買う(それも残券は外野席のみ)。

そのあと近くにある「ライオンズ・ベースボールショップ」に行った。店頭には中西太のユニフォームが飾ってあった。西鉄ライオンズの帽子、Tシャツ、トレーナー、球団旗を買い込む。

そして福岡ドーム建設現場へも行ってみた。埋立地の殺風景な場所だった。来年になるとここに人がいっぱい集まるのだな〜とぼんやり思った。

翌6日、日中は太宰府観光などをしてから、夕方平和台球場へ。

外野席は座るのはおろか立つ場所をさがすのにも苦労するほどの超満員。試合開始前には長崎の民族舞踊かなんかが披露された。

売店で「丸天うどん」を買って食べる。ちなみに「丸天」とは丸い薩摩揚げのこと。こちらでは薩摩揚げのことを「天ぷら」と言う。「じゃあ、”天婦羅”のことをこちらでは何と言うの?」と現地の人に聞いたらそれも”てんぷら”と言うそうである。また、当時の鳥頭型ヘルメットの容器に入ったアイスクリームも食べた。その容器は今でも自宅に有る。

試合は、西武・新谷、ダイエー・村田の両先発が好投をして、5回までともにノーヒット。新谷に至ってはパーフェクトピッチング。しかし6回に村田が崩れる。四死球を足場に連続長短打、さらにはスクイズ、犠牲フライで一気に4点を失った。

一方新谷は9回に2点をとられマウンドを鹿取に譲り、プロ入り初完封を逃す。ゲームは4-2で西武の勝利。

1997年9月にはウエスタンリーグの試合を観に再び訪れたのだが、雨天中止になってしまった。そしてその年限りで閉鎖。もう二度とは来れない場所となる。

その後の平和台野球場へ

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