広島市民球場

開設は1957年7月。それまでのカープの本拠地である広島県営球場に代わるナイターの出来る球場が望まれ、旧練兵場跡の国有地に誕生した。

両翼91.4m、中堅115.8m。その後幾度かの増設工事を経て、現在の収容人員は約32000人となっている。

この球場に筆者が初めて出掛けたのは、1993年の8月13日のことである。

この日から広島市民球場では、広島−阪神3連戦と、翌14日からは、親子試合として広島−近鉄(ウエスタンリーグ)2連戦の計5試合が行われる予定だった。

しかしこの日、東京から新幹線に乗って広島へ向かっていると、だんだんと雲行きがあやしくなってきた。そして午後になって広島駅に到着すると、とうとう雨が降ってきた。

「まあスケジュールは3日間あるのだから、1日くらい雨天中止になっても仕方ないか」と、この時はまだ軽い気持ちでいた。

そしてとりあえず八丁堀の「CARPIO(カルピオ)」に行って、翌日の試合の内野自由席前売券(1800円)を購入した。広島ならわざわざ前売券など買わなくても大丈夫だと思うかもしれないが、この時は「お盆」時期の阪神戦である。念のため慎重を期したのだ。しかしこの深謀遠慮が裏目に出る。

そして翌日、ホテルで目覚めて外を見ると雨。この日は午前10時40分開始のウエスタンリーグを観るつもりでいたのに…。仕方がないから宮島などの観光をしてからナイターまでに天気が回復するのを期待した。でも夜になっても雨は上がらずナイターも中止。このへんから筆者の気持ちは急激に落ち込んでいった。

ちなみに前売券は、平日でなければ払い戻しは出来ない(この日は土曜)。そして日曜中には東京に帰らなくてはならないのだ。結局払い戻しは出来ず、今でも手元にはこの券が残っている。1800円返せ〜(泣)

さてさらに翌15日、神に祈る気持ちで朝目を覚まし、おそるおそるホテルの窓から外を覗くと、

ザーッ!!

持って行き場の無い怒りをどこにぶつけていいのだろうか? 街を歩く人々に誰でもいいから八つ当たりをしたいくらいの気分になった(勿論しなかったけどサ)。公衆電話で天気予報を聞くと、どうやら中国地方に前線が停滞しているらしい。

仕方がないので、今度は広島市民球場に程近い「原爆記念館」へ行った。するとちょうどこの日は「終戦記念日」にあたっていたせいか、長蛇の列。でも他に行くところも思い付かなかったので、並んで入場した。

そして夜になっても雨が上がりそうもなかったので、夕方の3時頃には、さっさと東京で帰ることにした。

しかし「お盆」のラッシュのため、「ひかり」の指定席は確保できず、予定外の出費になるが「のぞみ」を使った。ちなみにこの時が、筆者の「のぞみ」初乗車であった。一体何のための広島まで行ったのやら。


そして東京に帰ってからも、気は収まらなかった。何故ならば、この時点でプロの本拠地球場で未踏破だったのは、この年に開場したばかりの福岡ドームを除くと広島市民球場だけだったからだ。このまま来年まで待つのはどうしても気が済まなかったので、翌月の9月22日、無理矢理時間を作って広島へ行くことにした。

今度は広島−巨人と広島−中日(ウエスタンリーグ)の親子試合である。ちなみに何故親子試合を選ぶかというと、試合数が多ければそれだけ中止になる確率が低くなることと、1試合当たりの旅費を安くしてコストパフォーマンスを高めようという魂胆からである。

そして、当日午前10時40分開始のウエスタンリーグに行くためには、「ひかり」では間に合わない。そこで、朝一番の「のぞみ」に乗って広島へ向かう。そして10時頃広島駅に到着。駅前から広島電鉄の路面電車に乗って市民球場へ。

するとこの時、またもや雨が降ってきた。でもまだ大した雨ではない。しかし球場に着いてみると、

「本日のウエスタンリーグは中止」

という看板が出ていた。二軍戦というのはわりと簡単に中止を決めてしまうものなのだ。これで個人的には、「広島市民球場6試合連続中止」である。この時の筆者の気持ちはもうすでに怒りを通り越して、逆に笑いが込み上げてくるという段階に達していた。わざわざ「のぞみ」まで使ったのにぃ…。

またもやどっかで時間をつぶすハメになったが、つい先月にも来たばかりなので、特にアテもなくブラつくしかなかった。そして夜。

ここにきて、ようやく雨が上がってきた。どうやらナイターは出来そうだ。そして指定A席(2900円)を買って、やっと無事に広島市民球場の観客席に入ることが出来た。障害が多いほど感慨が深いものだ。

なお、この日は巨人戦だったのだが、すでにこの時期にはほぼ「消化試合」となっていたので、チケットの心配は無用であった。実際この日の観客は12000人で、2階席などはガラガラであった。

筆者の席は一応一塁側だったが、この球場には指定席内には仕切りは無く、また特に係員によるチェックも無いので、頃合いを見計らってネット裏に座った。どうせ空いていたし。

さて、その翌日は一転して快晴。初めて広島で青空を見ることができた。そして再び市民球場へ。10時40分開始の広島−中日のウエスタンリーグも無事観戦。

さてそれから6年後の1999年4月6日、2度目の広島行きである。実はこの時は広島市民球場は「おまけ」だった。と言うのは、「最後の秘境」カープ由宇球場に行こうと思って時刻表を調べてみると、東京からだと当日移動が不可能なことが判明したのである。ならば前日に広島入りをして、ついでに市民球場へ行ってみようと思ったのだ。

この日はナイターに間に合えばいいので、特に乗る列車を決めずにゆっくりと自宅を出た。すると東京から広島まで直通する新幹線を待つよりも、先に出る列車に乗り新大阪で乗り換えた方が早く着くことがわかった。そこで11時21分発の「ひかり」に乗り、新大阪で「ウエストひかり」に乗り換え16時29分に広島に着いた。

余談だが広島駅では、夕食用に「安芸の八珍 広島おまかせ寿し」(1050円)という駅弁を買った。

これは雑誌「旅」(JTB出版)の企画で誕生した駅弁で、8種類の瀬戸内の幸(牡蠣・小海老・小いわし・牛肉・小鯛・さわら・松茸・穴子)の寿司に、厚焼き玉子が付いたなかなか豪華なもので、雑誌を見た時から是非一度食べてみたいと思っていたものだ。オススメです。

駅前から広島電鉄に乗り、「紙屋町」電停で下車。「そごう」で酒を購入して、市民球場へ。今回もA指定席(3200円)に入る。ただし前回の席とは違い「2階席」にした。これは2階席だと、ネット裏から俯瞰する角度でグラウンドを見れるからである。

以前は一塁側の、ネットが視界にかからない上段の方から見るのが好きだったが、最近はネット裏の最上段が個人的に球場観戦のベストボジションだと思っている。

さて、この日のカードは広島−阪神1回戦。この試合は1999年度の「広島市民球場」での開幕戦であった。そのため試合前には開幕セレモニーが行なわれた。

まずは地元・崇徳高校グリークラブが、バックスクリーンの上に現れた。あそこって人が乗れるんだねぇ。

そしてスクリーンに映し出される「カープ50年のあゆみ」の映像とともに当時の流行歌を歌い上げた。長谷川良平の映像が出ると、近くの席にいたおばさんが、「ああ、懐かしい」と叫んでいた。

そのあと両軍監督に花束贈呈、ビデオによる「カープ2代目監督」白石勝巳のあいさつ等があり、最後に広島市長の始球式が行われた。ちなみに市民球場の開幕戦は、例年広島市長が行うことになっているそうだ。そして翌日からは、「球団創立50周年」を記念して、市民球場での全試合でカープOBによる始球式が行なわれるらしい。

さてこのへんで改めて場内を観察してみよう。この球場のスコアボードは1993年に電光化されたものだが、選手名がカラーで表示され、しかも出塁すると、青地に白の選手名が黒地に緑に変わるという芸の細かさ。筆者はこのスコアボードは、その後出来たドーム球場のものよりもずっときれいだと思う。

そしてレフトスタンド後方には西日よけのムービングボード(広告付き)が有る。ライト後方には広島城も見える。そして三塁側2階席から外を覗けば眼下には原爆ドームが。

スタンドを見渡すと観客のほどんどがカープファン。レフトスタンドにもカープ応援団がいて、さしものターガース応援団も端っこのポール際に追いやられていた。

また、普通はネット裏にあるはずのボールカウント表示が、三塁側ベンチの上のほうにある。これだと左ピッチャーは見づらいのではないだろうか?

売店はあまり充実していないが、名物の「カープうどん」(天ぷらうどん350円、肉うどん400円)は、球場内のメニューとしては安い!  ちなみに、この「カープうどん」の容器にはカープのの字が入っているというのを後で知ったが気づかなかった。どこに書いてあったんだろう。

また、ネット裏には「市民球場レストラン」があり、球団創設50周年を記念して、「懐かし洋食赤ヘル亭」という、過去の人気メニューを当時の味付、盛り付けで再現したものを、月替わりで展開していた。

ちなみに4月は「ロールキャベツ」(ライス、サラダ付)800円と「他人丼」(味噌汁、漬物付)800円であった。レストランの営業時間は、ナイター時は20時まで、デーゲーム時は15時までである。

食堂の奥には、球団事務所があり、過去50年間のユニフォームをデザインしたポスターが貼ってあった。また、正面ロビー奥の階段には、1956年に来日した「ブルックリン・ドジャース」や1994年の「第12回アジア競技大会」の記念碑があった。

なお、場外の三塁側10ゲート前には、「勝鯉(しょうり)の森」という一角があり、「日本選手権シリーズ優勝記念」、「セントランリーグ優勝記念」、「衣笠祥雄2131連続試合出場達成記念」の碑がそれぞれ建っている。

さて、試合は初回にブロワーズの2点打で阪神が先制したものの、広島が浅井、江藤、ディアスのホームランや集中打で8点を奪い、8−2で広島の勝利に終わった。

その翌々日、由宇から再び広島に戻った筆者は、4月6日から12日まで市民球場となりの「そごう」9階文化催事場で、たまたま開催されていた「広島東洋カープ球団創立50周年記念展」を見に行った(入場無料)。

そこでは、歴代ユニフォーム、50年間の写真パネル、ファンによる「わたしの宝物」などの展示、ビデオ放映、グッズコーナーなどがあり、なかなか楽しめた。この日はカープOBの木下富雄氏も会場に姿を見せていた。

 

目次へ

inserted by FC2 system