広島市民球場見学ツアー

(ゲスト寄稿/広島県・いの一番さん)

2008年2月17日(日)の朝、筆者は広島市民球場の前にいた。今日はこれから市民球場の見学ツアーに参加するのだ。これは東区の二葉公民館の講座、「続・広島カープ昔話〜カープ語り部入門〜」の一環として行われる特別限定のもので、ふだんは入ることのできない場所も見学できるということもあり、前から楽しみにしていたのである。

市民球場は、正面玄関を入るとすぐに二階に上がる階段がある。踊り場の壁には以前からドジャースが広島へやって来た時の記念プレート(1956年)、アジア大会の記念プレート(1994年)が設置されているが、2007年にここへ新たなものが加わり人目を引いている。これは、開設50周年を迎えた市民球場に12球団の監督から寄せられたメッセージを展示したもので、含蓄のあるものから素っ気ないもの、何となく説教くさいものなど各監督の個性が出ていて興味深い。しばらく立ち止まって見入ってしまう場所である。


アジア大会記念プレート


パリーグ監督色紙


セリーグ監督色紙

各監督のメッセージ
監 督 名 メッセージ
Trey Hillman CONGRATULATIONS TO HIROSHIMA STADIUM
ON YOUR 50TH YEAR Celebration !
伊 東   勤 祝開設50周年 これからも数多くの夢と感動のドラマが
生まれるボールパークで在り続けて下さい。
王   貞 治 祝開設50周年 思い出を大切にします
Bobby Valentine Congratulations on 50th Anniversary
I hope you have another great 50th years
(これからのさらなる発展をお祈りします)
Terry Lee Collins 50th Anniversary
野 村 克 也 野球に学び野球を楽しむ 開設五十周年
落 合 博 満 祝開設50周年 “これからも天然芝で”
岡 田 彰 布 祝開設50周年 “道一筋” 『平和への舞台』
古 田 敦 也 祝開設50周年 感動をありがとう!!
原   辰 徳 祝開設50周年 感謝
Marty Brown Congratulation on 50years !
Shimin-Kyujo
Thanks for the good time ! (よき時代に感謝)
大 矢 明 彦 祝開設50周年 50周年おめでとうございます

階段を上がるとすぐに集合場所となっている会議室がある。ここは記者会見場としてテレビによく出てくるところだ。中に入るとそんなに広くないスペースにぎっしりとイスが並べられ、既にたくさんの人が座っていた。


球場内会議室

この講座は定員40名のところ、60名以上が参加している人気講座なのだ。もっとも参加者のほとんどは60歳以上の年配の方で、43歳の筆者がどう見ても若い方から10番目以内である。講座のタイトルが「昔話」だから仕方ないのかもしれないが、もう少し若い人の参加があればいいのにと思ったりする。

やがて定刻の10時になり講座が始まった。まず公民館の担当者からあいさつがあり、次いで案内人の二人が紹介される。一人はカープに長年球団職員として勤務され、生き字引きともいえる存在の渡部英之氏。

もう一人は創設時の1950年から1956年まで捕手として在籍し、当時のエース、長谷川良平投手の信頼が厚かった長谷部稔氏(カープOB会会長)である。お二人とも70代後半という年齢ながら、カープの歴史を語り継ぐ活動に熱心に取り組まれており、その姿には頭が下がる思いである。

この他、球場管理事務所の職員の方も紹介され、「さあ、出かけましょう」ということでツアーはスタートした。最初の見学先は一階スタンド最上段にある記者席である。

会議室から通路を少し歩くと、ネット裏スタンドの中段に出る。この日は曇り空で気温が低く時々雪が舞うというあいにくの天候、スタンドはもちろん無人、グラウンドも外野フェンスの広告を塗り直している業者がいる以外は無人で芝生は冬枯れという、何とも寒々とした光景が広がっている。しかし、ツアー一行には待望の見学ということで寒さをものともしない熱気があふれており、皆うれしそうに階段を上がっていく。

記者席へ入ると、中には机とイスが三列に並んでいた。各社の席は決められており、シーズンオフでも資料を置いたままの社もある。捕手のちょうど真後ろの一列目、いろいろな機器の置かれた席は公式記録員席だ。ここは、一人当たりのスペースは広いとはいえないが、眺めがよく風も入らないし空調も効いていて、特等席であることは間違いない。無理な話ではあるものの、一度ここで観戦したいものだと思ってしまう。


記者席内部


記者席から見たグラウンド

次の見学場所は、記者席の一塁側にあるテレビ用の放送ブースだ。二つのうち一つが開けられ、狭いため数人ずつが入っての見学だ。中を見ると、なぜか記者席にくらべて机も壁も老朽化が激しくボロボロである。あまりに狭く人も多かったので写真を撮ることができず、状況をお伝えできないのが残念だ。球場職員の方によると放送時はカバーをかけて隠し、見映えをよくするから大丈夫とのことだそうだが…

放送ブースを出てスタンド中段に戻り、今度は通路をライト側に向かって歩く。次に目指す場所はライトスタンド下にあるカープのブルペンだ。一塁側スタンドの端からブルペンへの通路に降りると早速目に入ってくるのは柱に取り付けられた通称「津田プレート」だ。これは1993年に32歳の若さで亡くなった津田恒美投手を忘れまい、ということで設置されたもので、写真では読み取りにくいが「直球勝負 津田恒美 笑顔と闘志を忘れないために」などと書かれてある。


津田プレート

リリーフ登板するカープの投手は必ずこれに触れてからマウンドに向かうそうで、ツアー参加者もそれに倣ってか次々と触ったり一緒に並んで記念写真を撮ったりといった具合、この光景を見ていると津田投手の姿は今もカープファンの心の中に深く刻まれているという気がした。

そしてブルペンの中に入ると投球スペースは二人分、外野スタンドの下を利用しているので天井は高い。もっとも風通しはよいとは思えず夏場はかなり蒸し暑いような感じである。


ブルペン内部


同上

ブルペンを出て次はいよいよグラウンドだ。何度も来ている市民球場だがグラウンドに入るのは初めてなので年甲斐もなく嬉しくなってしまう。まずライトポールの下に立ってホーム方向を眺めてみた。とかく狭いといわれるこの球場だがそれはプロレベルの話であって、筆者がボールを投げてもホームまで届かないし、打ってもここまでは飛ばせるわけもなく、とても遠くに感じてしまう。この場に立ってみると、プロ野球選手の体は一般人とは全く別物だと思う。


ライト側にて


ホームからセンター

ファウルグラウンドをゆっくりと歩いて一塁ベンチ前まで移動し、ここで球場職員の方から西日対策の話を聞く。市民球場は南側に電車通りがあり、そちらに外野席が向くのは都市景観上好ましくない、ということから西日の影響は覚悟の上でレフト方向を西にして建設された。

しかし、いざ完成してみるとこれが予想以上に強烈で夏場になると試合はしばし中断した。筆者も昔、ナイターの試合開始がよく遅れていたという記憶がある。これを解消するためレフトスタンド後方に設置されたのが日よけボードで、太陽の動きに合わせて二枚のボードを動かすことができる。特別に職員の方がスイッチを入れるとボードが少しずつ動き始め、参加者から歓声があがった。

また、渡部氏からは、長谷川良平氏が監督だった頃、「一塁側ベンチは西日が当たると暑くてとても疲れる。カープベンチを三塁側に移せないものか」という相談を受け、連盟に聞いてみたところ「だめ」と言われたというエピソードが紹介された。プロが音を上げるほど西日の影響は大きいものらしい。

ちなみに、このボードの設置費用はカープが負担したそうだ。そして意外だったのは、市民球場は完成以来、施設整備についてはすべて球場使用料やカープの負担で賄われており、市税は全く投入されていない、ということだ。筆者が知っている限り、このボードや前述したブルペンの設置のほか、内外野のスタンド拡張、スコアボードの移設と電光化、照明塔の移設等が行われており、これらを合計すると相当の金額になるはずだ。これだけの整備に市税が使われていないとは全く知らず、大きな驚きだった。

ここで職員の方からクイズ、「球場内で一番広告料の高い場所はどこか?」 これにはすぐに、テレビに一番よく映るネット裏スタンドの下、という正解が出た。「では、そこの年間広告料金はいくらか?」、これには何人かが金額を言ったものの当たらない。正解は「○○円!」(スポンサーとの関係がありオフレコとのこと。申しわけないがここには書けません)。これには一同予想以上の高額に驚く。

市民球場でこの金額なら東京ドームや甲子園はもっと高いはずだ。一時期より中継が少なくなったといっても、まだまだ球場広告は企業にとって多額の金を出すだけのメリットがある媒体のようである。

この後、場内放送室前では、ツアーに特別参加していた市民球場の初代ウグイス嬢、吉田弘子さんがマイクを持って「一番 センター 平山」(かつてカープで活躍した日系人選手。通称“フィーバー平山”)とアナウンスし、周囲は拍手喝采。

また、渡部氏からは1964年の阪神戦で審判団の不手際から試合が中止になった時は、怒ったファンがグラウンドに乱入し本当に怖かったこと、後で見ると放送席に置いてあった選手への賞品がすべてなくなっていたことが語られた。

最後は三塁側のベンチに入り、選手になった気分でイスに腰掛けてみる。ここからのグラウンドの眺めはスタンドからとはまったく違い、格別のものがある。ベンチの端にある水道は2007年の試合中に管が破裂してしまったことで話題になってしまったが、見ると「使用禁止」の紙が貼られていた。もう一シーズンだけなので、修理せずこのままにしておくのだろうか。


使用禁止の水道

そして、ツアーはこれにて全行程を終了、三塁側ベンチ裏から狭い通路を歩いて再び会議室へ、そこで長谷部会長から参加者一人一人に受講修了証が手渡され、講座はお開きとなった。今回、このようなファン冥利に尽きる講座を企画していただいた関係者の方々には、本当に感謝、感謝である。


修了証(表)


修了証(裏)

なお、ご承知のように市民球場は2008年のシーズンでその役目を終えることになっている。本稿を執筆している4月現在、跡地をどうするのか、具体的には決まっていない。しかし、球場がなくなっても、ここで約50年間にわたり数多くのドラマが繰り広げられてきたことを、機会があれば筆者も語り継いでいきたいと思う。

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