ひたちなか市民球場

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1999年9月5日、「イースタンリーグ・トーナメント」を観るために、ひたちなか市民球場へ出掛ける。

この日は朝5時前に起きた。特急列車を使えばこんなに早く起きる必要はないのだが、出来るだけ安く行きたかったので、普通列車で行くことにしたからだ。

そしてさらに安く上げるために、数日前に「青春18切符」の1日分を求めて金券ショップを何軒か回ったのだが、あいにく時期的な関係から、どこにも置いてなく手に入れることは出来なかった(「青春18切符」の有効期限は9月10日まで)。

そこで代わりに「スーパーホリデーパス」(4080円)を購入した。これを使うと「青春18切符」ほど割安ではないが、正規の往復運賃よりも数百円安くなる。

さて、上野駅10番ホームから7時2分発の常磐線・高萩行き普通列車に乗る。幸い車内は空いていたので、4人掛けのボックスシートを占領することが出来た。常磐線にはロングシート車も連結されているが、やはりボックスシートでないと旅情が出ない。

電車に揺られること約2時間半、9時28分に勝田へ到着した。こういう普通列車による、のどかな旅もなかなかいいもんだ。

駅構内のコンビニ「JC」で昼食用におにぎりとサンドイッチを買い、駅前の「1番バスのりば」から茨城交通バス「海浜公園行(交通公園経由)」に乗る。そして13分程で「市民球場入口」で下車する。思っていたより球場は近かった。運賃390円。

球場は「ひたちなか運動公園」内にあり、他には陸上競技場、テニスコート、総合体育館などの施設がある。

その中の「レクリエーション広場」では、鹿島アントラーズによる少年サッカースクールが開催されていて、サッカーのユニフォーム姿のこども達が大勢いた。

さて、球場に入ろう。入場券は内野2500円、外野1000円の2種類で、子供料金は無し。子供にとって2500円は高いのではないだろうか(その割りには結構内野席に子供がいたが)。私は内野席券を買う。

球場の開設は1990年8月。当初は「勝田市民球場」という名称だったが、1995年に勝田市と那珂湊市が合併して「ひたちなか市」となったのに伴い、球場名も改称された。だが球場正面の看板の表記は、ただ単に「市民球場」となっているだけである。なお、ここではプロ野球公式戦も過去3試合行なわれたことがある(すべてセ・リーグ)。

両翼100m、中堅122m、照明塔6基。収容人員は25000人。スタンドには地方球場としては珍しく2階席があるが、外野席は地方球場らしく芝生席。そしてネット裏の銀色のUFOのような屋根が特徴的である。スコアボードは磁気反転式で、得点の数字が電卓のように斜体である。また塁審の表示が「B1」「B2」「B3」となっているのが少し変わっている。

なお、内野ファールグラウンドに天然芝が敷かれているが、これは前年(1998年)に、当球場で行なわれる予定だった巨人−日本ハムのオープン戦が「強風のため」中止になった経緯から、今年になって出来たものである。

さて、今日は「イースタンリーグ・トーナメント」の最終日(3日目)にあたる。イースタンのトーナメントが行なわれるのは1997年の「鎌ヶ谷大会」以来2年ぶりである。この日のカードは第1試合が「3位決定戦」、第2試合が「決勝戦」でとなっていた。

トーナメントの試合規定は、入場時に貰ったパンフレットによると、決勝戦は延長11回まで。その他の試合は9回で打ち切りで、決着がつかなかった場合は「シチュエーションゲーム(状況攻撃設定制)」により勝敗を決めるとのこと。

「シチュエーションゲーム」というのは、無死2、3塁の状況を設定し、表裏の攻撃をして多く得点をあげた方が勝ちというものである。それでも決着がつかない時は「攻撃ポイント(塁打数+盗塁数)」の多い方が勝ちとなるそうである。この「シチュエーションゲーム」というものも一遍見てみたいものだ。

さて、第1試合の3位決定戦・横浜−西武は定刻12時に開始された。

この時点での観客数は約750人。ライトスタンドにはおなじみの横浜二軍応援団「平塚爆星会」が何人がいた。

なお、この試合は一応横浜のホームゲームなのだが、横浜・西武両チームともホーム用のユニフォームを着用していた。

そして先発投手は横浜・谷口、西武はベテラン新谷。西武は4、5回表にそれぞれ黒田、前原のヒットで2点を先取。

一方横浜は5回裏に小池のヒット、7回裏には加藤のライトスタンドへのソロホームランで同点に追いつく。

しかしこのあと横浜投手陣が大乱調。8回表2死満塁から関口が玉野、ジンターに連続押し出し四球。ここで代わった池上も、続く前原にまたも押し出し四球。

結局これが決勝点になり、5−2で西武の勝利。終了は15時20分。試合後には3位の表彰式が行なわれたが、これは西武・鈴木監督に目録か何かが渡されるだけのあっけないものであった。

ここで、第2試合までのインターバルの間に、別に何も買う気は無いが売店を覗いてみることにした。売店は1階通路に8軒出ていた。売っているものは、焼きそば、たこやき、焼き鳥、おにぎり、パンなどの軽食類と飲み物。珍しいものとしては、「大子地ビール」(500円)なんてものがあった。あとはグッズ類。

さて、第2試合の決勝戦・日本ハム−巨人は当初16時5分開始とアナウンスされたが、実際に始まったのは16時15分。先発投手は、日ハム・厚沢、巨人・榎。なお審判は第1試合はセ・リーグの4名であったが、第2試合はパ・リーグの4名である。

このころになると、観客は1500〜2000人くらいに増えていた。また、一塁側スタンドには日ハムの応援団(鎌ヶ谷でおなじみ)も現われた。

ところでこの試合は、ただの「トーナメント決勝戦」というだけではない。実は「リーグ優勝をかけた天王山」でもあるのだ。この試合の前まで巨人はイースタン新記録の15連勝中を続けており、一時は大差をつけられていた日ハムから首位の座を奪い取っていた。

また日ハムとしても、今シーズンは開幕13連勝という、これもイースタン新記録となる好スタートを切っただけに、ここで巨人の勢いを止めておきたいところ。そういう意味からこの試合は非常に大事な一戦であった(ちなみにトーナメントの結果はリーグ戦に算入される)。

さてその決戦は、1回裏にベテランのDH秦の2点タイムリーヒットにより日ハムが先制する。そして6回裏には巨人・榎に故障が発生。代わった柏田が徳田にヒットを打たれ1点を失う。さらに7回裏には三塁手福井のトンネル、玉峰の押し出し四球による2点が加わり、意外や日ハムの一方的な展開になった。

結局、日ハムは厚沢−石井のリレーで巨人を完封。5−0で日ハムの圧勝であった。

これで巨人の連勝もストップ。日ハムは巨人とはゲーム差無しの3厘差に詰め寄った。そしてトーナメント大会も前回に続いて2回連続優勝となる。

終了は19時5分。もう日はとっぷりと暮れて、照明塔には煌煌と灯りがともっていた。

試合後には優勝した日ハム・佐野監督、準優勝の巨人・高田監督に、やはり目録か何かが渡されただけで、あっけなく表彰式は終了した。

なお、観客はこの時点では500人くらいにまで減っていた。2試合ともフルに観戦した人は一体何人くらいいたのだろうか。

帰りは最終の臨時バスに乗り勝田駅へ。20時3分の上野行き普通列車に乗る。駅の売店で酒を買い、当然ボックスシートを選んで座る。そして車内では、ラジオ付ウォークマンで茨城放送のヤクルト−巨人戦中継を聴きながら酒を飲む。

列車が土浦あたりに差し掛かると、電波の入りが悪くなってきた。そこで文化放送に切り替える。この辺では地元の放送局よりも東京の放送局の方が入りがいいようだ(まあ、いわゆる「茨城都民」も多いだろうし)。ちなみにヤクルト−巨人戦は非常に長い試合となり、日暮里で山手線に乗り換えた時点でも、まだ試合は終わらなかった。

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