いきなスポレク公園野球場

(ゲスト寄稿/広島県・いの一番さん)

MAP

愛媛県生名島は瀬戸内海に浮かぶ面積3.67ku、人口約1800人の小さな島だ。以前はこの島だけで生名村という自治体だったが、2004年10月に周辺の島と合併し上島町(かみじまちょう)の一部になっている。ただしこの島と最も関係が深いのは、しまなみ海道が通る広島県の因島で、フェリーでわずか3分の近さだ。

かつては多くの島民が因島にある造船所に勤めていたそうだが、造船不況のため規模が縮小されて島は大きな影響を受けた。約3000人いた人口が現在では約6割にまで減ったのだから深刻である。

この元気のなくなりかけた島を何とかしようということで村が打ち出したのが「スポーツ合宿村構想」、そしてそれを実現させたのが今回紹介する「いきなスポレク公園」(1997年完成)だ。


「合宿村」の看板

筆者は因島までは何度も行ったことがあり、当然近くにある生名島も目に入ってはいた。しかし県が違う上に特に有名なものがあるわけでなく、興味も関心もなかった。球場が存在しているというのも2009年3月にアイランドリーグ(IL)の日程表で、愛媛−香川の試合が開催されるのを見て初めて知った次第である。

早速ネットで調べてみると公園の公式サイトはすぐに見つかったものの、個人のサイトで球場を詳しく紹介したものは見つけることができなかった。全国に少なからずいる球場愛好家の方々もさすがにノーマークだったようである。

情報がなければ自分の眼で見て確認したくなるというもの。試合に合わせて現地に行くことに決め、4月末に予習のため町役場にパンフレット等の送付をお願いしたところ、すぐにたくさんの資料が届き、送り状にはこう書かれていた。

IL公式戦は、本町が2年前から球団との誘致交渉を行い、やっとの思いで実現したドリームゲームです。運営につきましても、町民ボランティアが主体で地域活性化の一助とすべく頑張っています。

地元の開催にかける思いが感じられ、行くのがとても楽しみになってきた。さて、それでは当日の様子がどうだったかというと…

2009年5月17日(日)9時41分、筆者はJR尾道駅に降り立った。球場訪問の旅はたいてい1人で行くのだが、本日は大阪在住の同好の士、Mさんとの二人旅である。Mさんは日本のみならずアメリカなど外国の球場も多数訪問している意欲的な方で、その数は250以上。まさに球場の達人だ。前日は大阪から来てマツダスタジアムで広島−巨人を観戦、そして本日は帰り道に途中下車して生名島へ立ち寄るという効率的な日程である。

未知の球場への旅ということで本来なら楽しい気分のはずだが、この日はそうではなかった。何しろ天気が悪いのである。一週間前からこの日は雨の予報。近づけば違ってくるだろうと期待していたが予報はそのまま。それどころか当日になると、試合の時間帯に前線が通過するという最悪の状況になってしまった。

現に尾道も小雨が降ったり止んだりである。現地へ行って「中止でした」では困るので公園に確認の電話をしたところ、「先ほどやることに決定しました」との返事。意地でもやるというニュアンスが伝わってきたので、駅前から因島の土生(はぶ)港行きのバスに乗ることにする。

バスは発車すると尾道市街を抜けて尾道大橋を渡り向島へ。そこからしまなみ海道に入り因島大橋を渡る。晴れていれば絶景が楽しめるのだが、雨で視界が悪いのが残念だ。橋を渡り終わるとバスは一般道に下り、尾道から50分、右手に目指す生名島が見えてきたところで終点の土生港に到着である。

バス停のすぐ前には旅客ターミナルの建物があるが、実は土生には2つ港があり、生名島へ行くのに便利がいいのはここから徒歩5分のところにある長崎桟橋発の町営フェリーである。このフェリーは6時台から22時台までほぼ20分間隔の運航で、料金はたったの60円。いかに両島の結びつきが強いかがよくわかる。

桟橋へ行くと案内看板が立てられ、そろいの赤いジャンパーを着たスタッフも数名いる。地元のやる気を感じる光景だ。ちょうど前の便が出たばかりで20分待つことになる。Mさんはスタッフにどこから来たのか尋ねられ、「大阪から来ました」と答えたので相手はびっくり。わざわざ球場訪問のために遠方へ出かけるというのは一般の人には理解しがたいだろう。

そしてしばらくすると愛媛、香川両チームの応援団も到着。おそらく松山や高松から来ているのだから、この方々の熱心さも相当なものだ。そこへ対岸からフェリーがやって来たので乗船し、11時13分、ついに生名島に上陸である。


フェリー

島内には定期バスがないので、ここからは町の用意した無料バスに乗車する。バスは途中で客を乗せながら海沿いを約7分走り、11時30分過ぎ公園前に到着。公園への坂道には歓迎の幟が林立し、駐車場はほぼ満車。天気が悪いのに既にたくさんの人がおり、熱気にあふれている。


公園への坂道

ここでまず球場以外の施設を紹介しておくと、メインの建物には体育館や温水プール、その横には野外プールがある。また球場のレフト後方には50人を収容できる宿泊施設、蛙石(がーるいし)荘がある。体育館のロビーに行くとこれまで合宿をしたチームの記念写真がたくさん貼られており、その方面での認知度は結構高いようだ。

建物の前にはいくつものテントが並び、飲食物や特産品を売っている。まずは腹ごしらえにMさんは鯛飯、筆者は焼きそばを食べ、1000円の入場券を買っていよいよ場内へ。事前にネットやパンフで大体の様子はわかっていたとはいえ、やはり実際に現地に来た時の気持ちは格別なものがある。


売店

それでは球場の概要を紹介しよう。

大きさ:両翼92m、センター120m
グラウンド:内野土、外野砂
照明塔:6基

この球場でスタンドというか観戦スペースになるのは、一塁側と三塁側にある傾斜の緩い芝生地帯である。外野フェンスのすぐ後ろは防球ネットで狭い通路があるだけだ。


一塁側スタンド

ネット裏にはイスが置かれシートの屋根が架けられた「スポンサー席」があるが、一般客が座ることはできない。


スポンサー席

またスコアボードはこの試合のために設置された手作りのものが左中間にあり、バックスクリーンは防球ネットを何枚も重ねて緑色を濃くしたものといった具合。「何と貧相な」と思われるかもしれないが、ここは元々合宿施設の一つとして造られたもので、今回のような興行は想定していないのだから仕方がない(ただ、せめて外野は芝生にしてほしいが)。むしろ、ここでの試合開催を決めたILの地域密着の姿勢を評価したいと思う。


スコアボード

球場に入ったのは12時過ぎ、雨よけのため内野部分にはシートが掛けられていた。しかし、しばらくするとシートは片付けられライン引きなど準備が始まった。グラウンド状態はまあまあ、これなら試合はできそうで喜ばしいことだが、困ったのは観戦場所である。

芝生地帯は前に人が座られると非常に見にくい。かといって最前列ではネットが目障りだ。スコアを付けながら見たいのでどこかいい場所はないか…と探したところ、ネット裏と三塁ベンチの間に腰かけることができる段差を発見。そこにシートを敷いて雨合羽を着込み傘も用意。これで準備は万端である(と思っていたが実は甘かった)。

さて12時30分になるとグラウンドでは記念の式典が始まった。まず隣の岩城島にある和太鼓グループ「島本陣岩城太鼓」の勇壮な演奏が20分もあり、両チームのメンバー紹介、町からの特産品贈呈、町長挨拶、君が代の演奏と続く。そして町長や子供達など何と5組のバッテリーが始球式を行い、13時05分プレイボールである。

島本陣岩城太鼓 始球式

この時点で雨はほとんど降っておらず、Mさんは写真を撮るため外野へ移動、筆者も楽にスコア付けができていた。ライト後方の海や島もまあまあ見える。

しかし、4回に入ると突然強い雨が降り始めた。これまでとは違い当分止みそうな気配はない。いよいよ前線がやって来たようで、ライト後方は何も見えなくなってしまった。

外野から戻って来たMさんが「早く5回が終わらないですかね」と言う。Mさんのルールでは試合が成立しないと訪問数にカウントしないのだ。こちらはそこまでのルールは課していないものの、ここでノーゲームになっては中途半端であり、気持ちは同じだ。

雨の降り続く中、試合は5回まで何とか進み成立、もう止めればいいのにと思ったが、グラウンドの水はけがいいのか雨水が浮くようなことはなく6回に突入である。Mさんはついに耐え切れずネット裏の物陰に避難。濡れるよりは立ち見の方がマシという判断だ。筆者の方はスコア付けを途中で止めるわけにもいかずそのまま居残り、スコアブックが濡れてはいけないので傘で必死に守っての観戦になってしまった。


一塁側から

ライト側から レフト側から

試合終了は16時ちょうど。やれやれと思いながら帰り仕度を始めたが、その時大変なことに気付いた。横に置いていたカバンが水浸しになっており、中に入れていた本などの紙類がふやけて悲惨な状態になっていたのだ。

そして雨合羽を脱ぐと、雨水はズボンまで浸透しておりズブ濡れだ。「しまった」と思ったが後の祭り、もうどうしようもない。何とも情けない格好でバスに乗り込む羽目になってしまった。港に着くと雨は完全に止み、雲の間から青空も見え始めていた。2時間くらいずれていたらずいぶん違っていたのに…と恨めしく思ったものである。

帰りはちょうど尾道行きの高速船があり、船からの景色を楽しみながら17時27分駅前の港に到着。ここでMさんとはお別れである。奇しくもこの試合はMさんにとって国内100か所目、筆者の方は50か所目という節目の球場訪問で、今後もお互い球場道に邁進することを約束し、家路についたのであった。

2005年に四国で始まった独立リーグは北信越、関西などに広がっている。どこも地域密着を目指して結構ローカルな球場で試合を行っており、日程表を見ると「ここにも球場があるのか」と驚くことも多い。

リーグを取り巻く状況は苦しいが、地元ファンや筆者のような愛好家のためにも地方試合はたくさん開催してほしい。今後も機会があれば今回のような「知られざる球場」を訪問し、報告させていただきたいと思う。


(試合結果)

香川  
愛媛  

勝:高尾 6試合2勝2敗
敗:近平 8試合2勝3敗  
本:西森1号(2点)(近平)
観衆:885人


(余談)
この試合から3か月後の8月、世界陸上の男子やり投げで生名島出身の村上幸史選手が銅メダルを獲得した。ニュースでは島の映像も流れ、何か懐かしい思いで見たものである。その後村上選手には名誉町民の称号が贈られ、スポレク公園には記念碑が建てられたそうだ。

(終りに)
本稿執筆に際しては、町役場発行の町勢要覧や各種パンフレットを参考にしました。資料を送っていただいた役場の方にこの場を借りてお礼申し上げます。また、「SHIMADAS」(日本離島センター発行)も参考にしました。

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