関東村跡地
(調布基地跡地暫定市民スポーツ施設)
1999年8月29日付の「日刊スポーツ」を読んでいると、「秋季東京都高校野球ブロック予選組み合わせ」というのが載っていた。そこで、いつもの習性で何気なく球場名を眺めてみた。
創価・岩倉・福生市営・昭島市営・日体荏原…。ふむふむ、使われる球場は、高校の練習場や公営球場のようだ。だが、その中の「関東村跡地」という文字が目に入った。
なんだそれ? 関東村? 跡地? 聞き慣れない名前に俄然好奇心が湧いた。ちなみに、こんなことに関心を示すのは筆者だけかと思ったら、ダラ球会のおかピー君も気になっていたそうである。
そこで、この球場の場所を調べてみた。どうやら調布市にあるようだ。調布なら自宅からわりと近い。じゃあ、行ってみるかと、さっそく9月11日に出掛けた。
午後1時15分頃、京王線・飛田給駅で下車。この駅はいまだに自動改札の無い小さい駅であった。事前に地図で場所を確認したところによると、駅から北の方角へ歩いて行けばいいようだ。
旧・甲州街道を渡ってしばらく歩くと新・甲州街道にぶつかった。この新道は1964年に東京オリンピックが開催された時に、マラソンコースとして作られたものである。
そしてちょうどそこには「東京オリンピックマラソン折り返し地点」と書かれた標識があった。
余談だが、実は筆者の実家は甲州街道沿いにあり、親の言によると、筆者は東京オリンピクのマラソンをナマで見たことがあるらしい。だが当時2才だった筆者はそんなこと憶えてるわけがない。
そして新・甲州街道を渡ると、大きな工事現場にぶつかる。これは2001年春完成予定の「東京スタジアム(武蔵野の森競技場)」の建設現場であった。
へぇ〜、こんな所だったのか。調布市に現・J2の「FC東京」のフランチャイズが出来ることは知っていたが、詳しい場所は知らなかった。意外と駅から近いんだな。
ただしこの工事現場のために、行こうと思っていた方向を遮られてしまった。地図には東京スタジアムの工事現場など書かれていなかったよ。そこで、とりあえず右に曲がる。結果的にこの判断が大失敗の元だった。
駅からは1kmくらいのはずなのだが、行けども行けどもグラウンドは見あたらない。そして30分近く歩いて、ようやくグラウンドがあった。何面かあるグラウンドでは、サッカーをやっていたり、運動会をやっていたりした。でも高校野球をやっているような雰囲気は無い。
そこで、グラウンドの管理人室で聞いてみた。すると、管理人のおじさんは、「歩きかい? それは大変だ。ここから30分はかかるよ」と言われた。実はこのグラウンドは「三鷹市大沢総合グラウンド」といって、別の場所だったのだ。おじさんの説明によると、筆者は東京スタジアムの前で、左へ曲がるべきだったのだ。
9月とはいえ、まだ暑い中を足取りも重く引き返す。結局「関東村跡地」に着いたのは3時半になっていた。本来なら20分程度で行ける所に、1時間以上もかかってしまったわけだ。
ちなみに「関東村跡地」の正式名称は「調布基地跡地暫定市民スポーツ施設」というものであった。
この施設は調布市、三鷹市、府中市の3市にまたがっており、30面ほどのグラウンドやテニスコート、自由広場などが有るようだ。そしてその中には「武蔵府中リトル」の専用練習場もあった。
高校野球は「調布市E6グラウンド」という場所で行なわれていた。でもグラウンド一帯が柵で囲われていて、入口が見付からない。
そこで隣のグラウンド内を歩きながら、とにかく入口を探す。でも、一向に入口が無い。そしてとうとう外野の裏まで来てしまった。
すると、おそらくリトルリーグの関係者と思われる親子が、柵をよじ登ってグラウンドに入っていった。ちなみに隣のグラウンドでは「調布リトル」が練習をやっていたのである。そこで筆者もマネをして、柵をよじ登ってグラウンドへ入った。
そしてグラウンドに着いた時には、すでに田無高校対成城学園の試合は8回を迎えていた。
観客席は一塁側、三塁側に申し訳程度の段状の簡素な長椅子(と言うよりただの板)があるだけで、そこには当然ながら両校関係者ぐらいしか座っていない。なんか居心地の悪さを感じながらも観戦する。
ネット裏では控えの部員が、小さい黒板に1球ごとにチョークで書いてボールカウントを表示していた。また、スコアボードも三塁側ベンチ脇にある黒板。
ところで試合の方はどうなっているのかというと、そのスコアボードには、暗算では簡単に計算できない数字が並んでいた。
そして試合は4時10分頃に、28対19というとんでもないスコアで終わった。
この日は風が非常に強くて砂埃が舞い、コンタクトレンズ着用の筆者にはとてもつらかった。観戦中、ネット裏にある水道でコンタクトレンズを洗う。
ところで、これは後で知ったのだが、なんと蘭兵衛さんがこの試合を観に来ていたそうである。でも2時半くらいに帰ったそうで、筆者とは入れ違いだったようだ。う〜む、お互いマニアックだねぇ(笑)。
帰りは、駅の方向に向かって歩いているうちにいつの間にか東京スタジアムの工事現場に入り込んでしまった。でもそのおかげで近道が出来たが。
飛田給駅から京王線に乗ると、東京競馬場帰りらしきオッチャンたちがいっぱい乗っていた。
<追記>
その後「掲示板」に頂いた情報によると、関東村で試合を行うブロックには早実がはいっていて、本来は早実グランドで行うはずのところ、学校移転のためグランドを閉鎖してしまい、臨時で関東村で行ったそうである。早実の新しいグランドが使えるようになればたぶんそちらが会場になり、関東村ではやらなくなると思われる。