釧路市民球場

(ゲスト寄稿/北海道・浜☆星奈さん)

MAP

広里という街から離れたところにある釧路市民球場。球場の周りは(球場も含めて)あらゆる運動施設を持った大規模運動公園となっている。


大きさ:

両翼:97.6m、中堅:122m。ということは、えっ? 横浜スタジアムよりも広いの! おまけに中堅122mってドーム球場と同じじゃないの!!  田舎の球場なのに結構広いのである。しかし、(これは地方球場全体にいえることですが…)フェンスは低いのでドーム球場より狭く見える。

観客収容数:20000人。はまあこんなもんでしょう。昔は北海道で3番目に大きい都市だった釧路も、過疎化が進んで今や約18万人…、つまり球場には釧路の人口の約10分の1が入れるということですね。


球場の様子:

スコアボードは角コシック体で書かれた手書きのボードで手動式。ナイター設備は当然ないので、日没コールドが適用される。外野席はもちろん芝生であり、ゴザもしくはアウトドア用折り畳み椅子は必需品である。

地方球場特有の土のグラウンドで、選手にとってはぬかるみやイレギュラーが当然のごとく襲いかかってくる。プロ野球の他にも高校野球や中学野球、さらに草野球にも使われている。


球場への行き方:

まず、どんな形でもいいから釧路駅に行く。そして駅の正面口を出て左側に行くとバスターミナルがあり、ここから球場行きのシャトルバス(くしろバス)に乗る(乗り場は専用の乗り場が作られているのですぐにわかります)。

幸いにもプロ野球開催時になると釧路駅−球場間のシャトルバスがあるので球場への行き帰りはまず一安心! しかし(シャトルバスにもかかわらず)何故か各停なので所要時間は約30分かかる。けっこー遠いぞぉ〜。

尚、シャトルバスがない時に釧路市民球場に行きたい時にはどうしたらいいか…。それは釧路駅のバスターミナルからくしろバスの豊美線に乗って、豊美2丁目のバス停で降りたら徒歩で約7〜8分くらいで球場に着きます。もしくはくしろバスの美原線に乗って美原5丁目のバス停で降りたら徒歩で12〜13分くらいで球場に着きますがこの方法だとバス停から球場までの道のりが初心者にとってはちょっと分かりにくいので私はあまりお勧めしませんが…。


ここで開催されたプロ野球について:

一軍では1992年まではパ・リーグ(ロッテまたはFIGHTERS主催)が毎年来ておりましたが、1993年と1994年は開催されず、1995年になって初めてセ・リーグの公式戦が帯広とのセットで行なわれるようになり、ここから1997年、1998年、2001年、2003年にBayStarsのホームゲームが行われました。

何故BayStarsかって? それはやっぱり釧路は海の町だからマルハが関係してくるんじゃないかなあ。そして2005年には北海道のプロ野球球団であるFIGHTERSがホームゲームを帯広とのセットで開催し、2007年からは毎年(になるかは分かりませんが希望)FIGHTERSがホームゲームを帯広とのセットで開催されております。尚、2006年には東京ヤクルト−広島戦も東京ヤクルトのホームゲームとして(これも帯広とのセットだが)1試合行われました。

尚、二軍戦の方は毎年Searex−巨人(巨人以外の時もあったが)戦が2004年まで1試合(これも帯広とのセットで)行われておりました。2006年はFIGHTERS−巨人戦が(これも帯広とのセットだが)1試合行われました。


BayStarsと釧路市民球場との関係:(FIGHTERSを含めて他の球団については調べてません。すみません←FIGHTERSについては後で調べておきます…)

1995年から5回ホームゲームが行われたBayStars。実を言うと、引き分け1つを除いて全てBayStarsが勝っているというまさに「BayStars不敗神話」の球場であります! しかも試合内容がどれをとってもドラマティックであります(サヨナラ勝ち2回、あとの2つは逆転勝ちで1つは引き分けだがリードされた後に追いついての引き分け)。

1995年はあのデニー友利投手が先発で好投し、畠山選手が9回裏にサヨナラタイムリーを打って、中継ぎの盛田投手が(一応)地元で勝利を飾りました。

1997年は延長10回にサヨナラ勝ち。1998年は霧雨の中で行われ、BayStars側ではローズ選手が三塁打が出ればサイクルヒットだったが、惜しくも最後は三振。惜しかったなあ…、もしこの時出ていれば1999年の富山で世界記録だったのに…。最後はササキ様が道東シリーズに初見参! ヘルペスを患っていたせいもあって状態は良くなかったが、審判にボールが当たるという幸運もあって見事に抑えました。Dragons側から見ると、川上投手がプロ初ホームランを打ちましたが、ピッチングではマシンガン打線に打たれてしまいました。

2001年は唯一の引き分けに終わったものの不敗神話は辛くも継続達成。そして2003年は先発の斎藤タカシ投手が立ち上がり打たれながらもその後は抑え、打線は5回に相川選手の1発と石井琢朗選手の1発で逆転し、8回には種田選手までもダメ押しの1発が出て勝ちました! タカシ投手が釧路で唯一の先発投手としての勝利を挙げました。


この球場の感想:

観戦当日は曇天たっだせいか、曇り空と土のグラウンドとが非常にマッチしておりました。霧雨だったが、試合は9回まで成立。やはり「霧の街」7月だというのにけっこー寒かった。横浜から来ていた人はもっと寒く感じただろうなあ…。


観戦時の注意:

釧路は真夏であっても霧のためにけっこー寒いので、長袖の上着は必携ですぞ!(あと霧雨対策として傘とウインドブレーカー上下も)


最後に質問:

釧路は霧の街であるので、「霧で中止」があったのか?−プロ野球では1984年か1985年に1度だけあったようですが(どうやらファームらしいです)、ここ最近はありません。

最も東にあるプロ野球公式戦開催地の釧路市民球場、寒さ対策を整えつつ、「霧の街」釧路のデーゲームを是非体験してみましょう!

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