札幌市円山球場

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ここで球場の概要を。1934年に竣工し、翌1935年7月14日に開場。同年9月11日には巨人が訪れ札幌鉄道局、札幌倶楽部と試合を行なったそうである。そして1936年のプロ野球発足年には、東京セネタース−阪急の試合がさっそく行われている。

その後も毎年プロ野球の公式戦が行われ、北海道を代表する球場となっている。ただし2001年には札幌ドームが完成するため、この日の日本ハム−ロッテがおそらく円山球場最後のプロ野球公式戦となるだろう。そのためこの日のライト側外野席には「ありがとう円山球場 プロ野球北海道私設応援団連盟」という横断幕が掲げられていた。(追記:2005年5月28日に、球場開設70周年を記念して交流戦・日本ハム−ヤクルトが開催された)


外野席の横断幕

グラウンドは両翼98m、中堅117m。ブルペンはファウルエリアに各2人分。スコアボードはかつては手書きで、指名打者制が導入された時に後付けで投手の表示個所を設置したため、その部分がスコアボードからハミ出していたのが印象深い。しかし1995年5月に磁気反転式になり、1行分ながら2色表示の電光のメッセージボードも設置された。ここには、「ヒット」や「ホームラン」などの表示がなされる。

また、1974年と1999年には全面改修もされている。バックネット前には人工芝があり、その上には「MARUYAMA」と書かれている。また、外野のウォーニングゾーンの土の色がグレーががった緑色。

ネット裏から
   
一塁側から 三塁側から
   
ブルペン
   
スコアボード
   
旧スコアボード(1994年) 旧スコアボードの裏側

収容人員は内野10500人、外野芝生席14500人の計25000人。球場設備は少々古く、内野席はネット裏でも背もたれ無しの長椅子である。そして外野の芝生席にはアカマツの木が3本生えているのが面白い。また芝生席には「marui imai」という広告の描かれた小屋があるが、これはトイレ。巨人戦など観客の多い試合になると、このトイレの屋根の上にも多くの客が乗っかっていたのを記憶している方もいるだろう。

ライトスタンド奥には、円山動物園内のアトラクションが、レフトスタンド奥には円山が望める。また一塁側後方には、札幌五輪でも使われた「大倉山シャンツェ」も見えるようである。スタンド内は禁煙で、通路に喫煙所が設けられていた。また「体の不自由な方専用エレベータ」も設置されていた。

外野席に生えているアカマツ 外野席のトイレ小屋
   
ライトスタンド後方には円山遊園地のアトラクションが見える

試合前には「6月度テレビ朝日賞」の表彰があり、片岡が受賞をした。また特別賞として井出と建山も表彰。これは日本ハムの選手が対象になっているようだ。そして前日の旭川同様、片岡、諸積に花束贈呈。始球式は地元の少年野球チームのナインがそれぞれの守備位置について行われた。


放送席の北別府氏と落合氏

先発投手は日本ハム・立石。一方ロッテは、ここまで日曜日は9連勝中の「サンデー晋吾」こと小野で13時プレイボール。1回裏日本ハムは小野の立ち上がりを攻め、4番片岡の三塁打などで3点を先制する。そして3回裏には2番小笠原がライトスタンドへソロホームラン。

日本ハムはその後も攻撃の手を緩めず、4回裏に小笠原の2点タイムリーヒットで6−0。これで小野はノックアウトされ、連勝記録もストップすることになった。

5回裏には、代わった榎から6番ウィルソンが2ランホームランを放ち8−0。一方ロッテは6回表に5番初芝のヒットでようやく1点を返すだけに終わった。立石のプロ入り初完投で8−1でゲームセット。「円山最後の公式戦」は日本ハムの圧勝に終わった。ヒーローインタビューは立石。その中で「無くなってしまうのは残念です」とこたえていたが、球場自体は無くなるわけではないのだが。

この日、試合後には北海道の各チームの私設応援団がなんかやるらしいというので、我々もライトスタンドへ移動する。応援団はセリーグが全6球団、パリーグは近鉄とこの日の日本ハム・ロッテの3球団の計9球団が揃っていた。まるでオールスターゲームのようである。応援団連合は、各チームの応援歌をやったあと、最後に「蛍の光」を演奏した。

試合後のライトスタンド

球場を後にして地下鉄で大通へ移動。大通公園テレビ塔下のビアガーデンで懇親会。やはり札幌といえばビールは欠かせない。ホルモン焼きやトウモロコシとともに頂く。


大通公園のビアガーデン

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