峰山球場

(ゲスト寄稿/広島県・いの一番さん)

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2003年4月26日早朝、筆者はウエスタンリーグのサーパス神戸−阪神の試合を観戦するため広島を出発した。目的地は京都府北部の峰山町、日本三景の一つ天橋立から北西に10数キロのところにある町だ。

出発する直前に調べた京都府北部の天気は、曇り時々雨で降水確率は午前中50%、午後30%という少し不安な予報、しかし大雨が降るような感じではないので、多分試合は行われるだろうという楽観的な予想のもと、新幹線に乗り込む。

新大阪まで新幹線、そこから京都まで新快速に乗り、9時25分発天橋立行特急「はしだて」に乗車する。広島を当日の朝に出て13時の試合開始に間に合うのはこの列車があるからこそで、ありがたいことである。

京都を出た時は空は曇りとはいえ明るかったが、北上するにつれ暗くなってくる。どうも小雨も降っているようで少し不安になる。「はしだて」は11時15分天橋立駅に到着、ここからは「タンゴディスカバリー」に乗り換えだ。車窓からは2度歩いたことのある天橋立が見えるが、今回は素通りするのが残念だ。列車は快調に走り、11時40分目的地の峰山駅に到着した。

タンゴディスカバリー号 峰山駅

ホームに降りると、どんよりとした空から小雨がパラパラ落ちてくる。しかし地面はそんなに湿っていない。どうやら試合は大丈夫そうだ。ただ、気温はかなり低く、はっきり言って寒い。いくら日本海側とはいえ4月下旬でこんなに寒いとは思わなかった。念のため薄手のジャケットを持ってきていたのでよかったものの、それがなければ風邪をひいていたかもしれない。ちなみに後で球場近くの温度計を見ると13℃で、峰山駅の待合室には暖房が入っていた。

地図を見ると駅から球場までは大した距離ではないので歩くことにし、約20分で球場に到着、入場券売場で内野席券を買う。この日の料金は1500円だ。


案内看板


入場券

中に入るため三塁側の入口に行くと、そこに石碑が2つあるのを見つける。一つは「M」の字とボールを組み合わせたもの、もう一つは「がんばれ峰高! 燃えろ丹後!!」と書かれたもので、地元の峰山高校が1999年の選抜大会で甲子園に初出場した時に記念として建てられたようだ。


峰山高校甲子園出場記念碑

そういえば当時は、同校OBの野村克也氏が阪神の監督に就任した直後で話題になったことを思い出す(ちなみに野村氏の出身は隣の網野町である)。後で調べてみると、峰山高校野球部は、この球場で時々練習を行っているそうで、町当局の計らいで使用料は無料とのこと。碑の文章といい、使用料の件といい、同校に寄せられる地元の期待が大きなものであることを感じる。

場内に入ると阪神の選手が守備練習をしているところで、スタンドには既に300人ほどの観客がいた。グラウンドの状態は普通で試合には支障がないが、前にも書いたように気温が低い。おまけに風が強いので余計寒く感じる。小雨は止んだが空は相変わらず曇っており、試合にはあまりいいとはいえない気象条件である。

ここで球場の概要を紹介すると、まずグラウンドは両翼95m、中堅120mで外野は天然芝である。ファウルグラウンドの外野部分があまり広くなく、そのためかブルペンの向きが通常の球場とは逆で、投手が内野側、捕手が外野側になっているのが特徴だ。次にスコアボードは右中間にあり手動式、打順表は9人しかなく指名打者制には対応していない。そのため試合では攻撃時には指名打者、守備時には投手が表示されていた。

一塁側から 三塁側から
   
逆向きのブルペン
 
スコアボード

この球場で問題があるのはネット裏とベンチ上のスタンドで、コンクリートが階段状になっているだけで長イスすら設置されていない。長く座っていると体が痛くなってくるので、これは何とかしてほしいところ。また、バックネットも支柱がたくさんあってグラウンドが見えにくく、1996年完成の球場にしては設備面が今一つといった感がある。

内野スタンド ネット裏は支柱が邪魔

やがて試合開始の13時が近づき、グラウンドでは地方球場恒例のセレモニーが始まった。峰山町長のあいさつ、両チーム監督への花束贈呈と続き、地元の少年野球選手による始球式というおなじみのパターンである。ただ、驚いたのは投手役の少年が3人も出てきたことで、どうするのかと見ていたらマウンドに1人、その左右に1人ずつが行き、審判の合図で一斉に投球するというものであった。当然、打者も3人、捕手も3人でバッテリー間にたくさんの人が入り乱れるにぎやかな始球式である。このような形のものは初めて見たが、この後7月に行った山口県防府市でも同じ方法で行われていたので、もしかすると筆者が知らないだけで、結構行われているのだろうか。

さて、セレモニーが終わり、いよいよ試合開始。先発投手はサーパスが相木、阪神が川尻である。先制したのは阪神で1回表、先頭の高波がいきなりライトへホームランを放った。しかしサーパスもその裏高見沢のヒットですぐに同点に追いつくと、3回には竜太郎の2ランホームランで3−1と勝ち越し、その後6回表に阪神が1点を返せばその裏サーパスは2点を入れて5−2という具合にサーパス優位に進んでいく。

東京から応援に来たサーパスファン 試合そっちのけで遊ぶ

しかし7回表、ある選手の登場で流れが一気に阪神に移った。この回先頭に代打で出てきたのはカツノリ、いうまでもなく野村克也氏の息子である。カツノリ自身はこの地で生まれ育ったわけではないが、郷土の英雄の息子ということでいわばご当地選手、スタンドからは大きな声援が送られる。

それに応えてカツノリが初球を思い切り引っ張りレフト線二塁打を放つと、これをきっかけにヒット、四球、加えてサーパスの拙守もあり阪神が一挙に5点を入れて逆転、そして再びカツノリに打席が回ると、今度は三塁ゴロかと思われた打球がベースに当たって方向が変わる幸運なヒットとなり、更に1点追加で8−5。7回表だけで2安打1打点1得点の活躍に観客は大喜びである。

この後、両チーム無得点のまま9回表まで進み、二死1、2塁でカツノリにまた打席が回ってきた。ここでは力み過ぎたのか空振り三振に倒れてしまったが、その直後かなりの客が席を立って帰ってしまったのには驚いた。残りは9回裏だけなのでついでに見ればいいのにと思うのだが、カツノリさえ見られれば満足ということらしい。正直なところ、彼にある程度の声援があることは予想していたが、ここまで吸引力が強いとは思わなかった。スタンドには南海ホークスそっくりのユニフォームの少年野球チームもあり、筆者はこの地域での野村氏の影響力の大きさを感じたのだった。


南海ホークスは生きている

なお、試合は9回裏久保田がサーパスを三者凡退に抑え、8−5で阪神の勝ち。阪神が強かったというよりサーパスが自滅した感じであった。試合後、筆者は翌日大阪で用事があるため、すぐに峰山町を後にしたが、この辺りは天橋立をはじめとして観光資源の豊富なところである。本稿をお読みの方で、今後峰山球場に行かれる方があれば、野球だけではなく、ぜひそちらにも立ち寄って楽しんでいただければと思う。

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