岡山県野球場

(ゲスト寄稿/岡山県・おぐらだいすけさん)

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岡山駅西口から北へ歩いて10分程度いくと、県総合グラウンドの正面。その中に県営球場がある。戦後の失業対策として造られ、1951年11月にオープン。両翼91m、中堅は122m。こけら落としは出来た年の11月13日、米大リーグ対パ・リーグの試合。日本のチームとして初めてアメリカチームを破る記録をうち立てた。球場の入口には、オドール全米監督のメッセージ銅板がある。

ちなみにナイター開きは1971年8月28日の岡山東商−鳥取西の招待試合だった。また、1954年の東中国大会決勝の関西高校−米子東戦や、1982年7月8日の広島−阪神戦の停電事故は全国ニュースになったりするなど、話題も数知れず。

今でこそ、盟主の座をマスカットスタジアムに明け渡したといえど、立地の良さや観客席からグラウンドが間近であることもあり、半世紀近くも岡山の野球を見届けてきた生き証人のひとりである。

筆者が初めて県営球場を訪れたのは、第一次星野監督の頃の阪神−中日戦。中尾、バースがホームランをかっ飛ばし、目前のブルペンで投げた川本智徳や森口益光、江本、鹿島、宮下、郭源治といった投手の面々が印象に残っている。試合自体は小松−郭の勝ちパターンの王道で中日が逃げ切ったが。

しかしプロ野球の試合で一番印象に残っているといえば、1992年3月12日の広島−巨人・オープン戦だった。何せ我らが郷土のヒーロー川相昌弘が3ラン本塁打を放ち、同じく吉原孝介も活躍。おまけに12−3という巨人ファンにとっては応えられない試合だった。

また試合前の練習では、ルーキーの小原沢重頼やゴンザレスが黄色い声援に応えて手を振った(他の選手はしなかっただけに)ということもあって試合前に練習を覗く楽しみが加わった事も印象づけられた理由の一つである。

もっとも2年後にこの外野席で見たオープン戦での打撃練習では、吉岡雄二選手の打球が観客の一人に直撃して救急車の出番となった事件に遭遇した。宮田コーチが「しゃがんで」を連呼し、トレーナーと思しき人がグラウンドからやってきたこともあり、楽しみだけじゃすまないことも知った。

しかし一番印象に残っているのは、自分の母校である高校の予選である。大抵コールドで負ける試合が多いので、好試合をしてくれたり、勝った事もあった時には涙、涙であった。(この辺りは省くけれども、自分の母校の勝敗にやきもきするかしたことありませんか?)

前述したように、この球場はマスカットが出来た事もあって、球場食堂が廃止されたり、フェンスや照明灯の広告が無くなったりで寂れたような感じは否めない。

加えて、1998年のシーズン中は、スコアボードは錆びるに任せスタンドの壊れた椅子はそのままにしている等、みすぼらしい状態だった(現在はスコアボードは修繕済み、椅子も1999年度から改修するとのこと)。

大きな試合(高校の予選や中国大会)の時でも三塁側の切符売り場のみを入り口にして、その近くに臨時の売店が出来る程度である。

もしここで観戦するのなら、行きがけに近くのコンビニで調達するかレストランで腹ごしらえしておくのが賢明だろう。

また、鉄傘のような物もないので、直射日光を避ける事と雨具の用意をした方がよいかも(筆者なんか昨年それを怠ってひどい目に遭いました)。そういう意味ではお気に入りの場所というところは売店と便所がほど近い三塁側かもしれない。全体が見えるといえば、ネット裏の中ほどの通路のやや上辺りか。なかなか見る側の観点でしか書く事しか出来ないが、当事者から見た話のタネはいずれ。

ところで、今年(1999年)の夏の甲子園予選の準決・決勝はプロ野球オールスターがマスカットを使うため、この球場で行われる。どのような名勝負を見せてくれるのか見守りたい。


(ゲスト寄稿/広島県・いの一番さん)

2002年5月5日、この球場で久し振りのプロ野球が行われた。カードはウエスタンのサーパス神戸−広島カープで、好天に恵まれたこともあり約1500人の観客が集まった。


始球式


入場券

筆者は初めてこの球場を訪れたのだが、昔ながらのスタンドや一部が剥げた外野の芝生を見て、老朽化は否めない印象を持った。しかし、マスカットスタジアムが出来るまで岡山県の野球界を支えてきたのはこの球場である。岡山駅から徒歩15分という地の利のいい場所にあるので、もう少し手を入れて今後も大切に使ってもらいたいと思う。

なお、試合は5−2で広島が勝った。

ネット裏から スコアボード
   
三塁側から ライト側から
   


子供達にサインをするサーパスのマスコット「SUMMER」

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