しまなみ球場

(ゲスト寄稿/岡山県・おぐらだいすけさん)

MAP

2002年7月7日、岡山より車を飛ばして一時間半ほど走り、しまなみ海道の始点である尾道へ。十津川警部であれば、しまなみ海道に入って犯人を追いかけるのだろうが(『しまなみ海道追跡ルート』より)そんな余裕は筆者にはなく、尾道インターの料金所にて道順を聞き、ひたすら進む。

「最初の信号を右に、次を左に」と唱えつつハンドルを握り5分後、「びんご総合運動公園」の看板へ向けて入り、球場より下手に当たる未舗装の駐車場へ。車内が暑くなるのを嫌い窓を開け放して車外へ。後にこれがまずった事とは露知らず。なお、公共交通の場合はJR山陽本線尾道駅から「びんご運動公園」行バスで約25分のようである。また、新幹線・新尾道駅からだと約1.5kmで、バスなら約5分の距離である。

球場前に赴くと、玄関の左側にテントが設えてあり竣工式が行われていた。筆者はそれを尻目に、入口と改札を探してスタッフと思しき方に聞くと入場は無料とのこと(というほど大袈裟ではないかも)、と感心しつつ、スタンドの陣取りをしてテープカットの様子を見に。

竣工式のテープカット
中央が広島県知事の藤田雄山
ミス尾道

しまなみ球場は前述したように、びんご総合公園内にあり、他にもテニスコートやメーンとサブのアリーナを持つ体育館、そしてオートキャンプ場も備えている。開設は2002年7月7日。両翼96m、中堅120m。これは甲子園と同じ広さのグラウンドに造り上げているという。もっとも実際に甲子園球場に視察しようとしたら断られてしまい、空撮で再現したのだそうだ。また内野の黒土と砂の配合比率も「甲子園の土」を模したそうである。収容人員は内野席9000人(内、車椅子席8)、外野席(芝生席・階段席)7000人の計16000人。照明塔は6基。スコアボードは磁気反転式。

なお、愛称の「しまなみ球場」は、県の公募の中から最多得票を集めたもので、正式には「びんご運動公園野球場」という。


グラウンド全景


スコアボード


正面口の看板

テープカットの後、「しまなみ球場完成記念高校招待野球試合」の第一試合、広島商−東洋大姫路が行われた。東洋のそつのなさと、広商のエースなき試合運びと押されたときのそれの拙さが目立った。エース和田が終わりになって登板した際には、他の投手とは球自体の違いが目立っただけに、よけいそれを感じたものである。それは東洋の投手陣にしても同じで、長谷川とアン以外は投げ方の特徴だけの違いしかないように見受けられた。

双方とも長丁場の予選になるだろうにと、心配になったものである。そういうことがあってか、試合後東洋の選手たちは隣の球技場(ソフトボールの試合が2面分使える)で練習をしていた。


試合に先立ち、地元の小中生による始球式


試合のもよう


試合後の東洋大姫路の選手たち

第一試合  広島商−東洋大姫路

東洋大姫路  
広 島 商  

(東) 長谷川、橋本、アン、糺、アン−三木、菰方
(広) 黒瀬、山嵜、吉川、和田−川村

三塁打 横田、三木(東)・松永(広)
二塁打 横田2(東)

2試合目は広陵−玉野光南。光南・山神の左翼ポール近くに飛ばした大アーチだけが目を引いたという、8−2の広陵のワンサイド。

第二試合  玉野光南−広陵

広  陵  
玉野光南  

(広) 西村、北村、岩崎−薮根、白濱
(玉) 田中、塚本−木村

本塁打 山神(玉)
三塁打 槙原、薮根(広)

球場自体は、確かに広さは申し分ないように思われたが、幾分小さい感じがしてしまうのはスタンドの大きさであろう。立ち上がり甲子園経験者の広商や広陵の外野守備がもたついたのは、実際の甲子園よりふくらみが広いのかも知れないという印象を持った。

試合後、17時からより中村豪氏(元名電高・愛工大名電監督・現豊田大谷高監督)による「イチローに教えたこと、教えられたこと」という講演がサブアリーナで行なわれた。最初、司会の内海氏(尾道商OB・元中日投手)によって紹介されて中村氏が壇上へ。監督という激務のためか、足を引きずっておられたが、腰を患っているとのこと。言われたことは既に伝説の域に入っている話だが次のような話だった。

当初は「卓球の名電高」といわれて歯牙にもかけられなかった野球部ではあったが、工藤公康など多くのプロを輩出した中で、イチローが入ってきた。彼の成績表を見た人は「記入例かと思った」と言わしめたほど頭が抜群だったらしい。170センチ60キロのひょろっとした選手だったそうだが、中三までにはすでに140キロの速球を投げていたというから凄い。

またチチローも偉大な人であったようで、彼自身中学1年からの予復習をして一緒に取り組み、高校の練習にも顔を出してしきりにメモを取っていたという。その伝統で、あとに続いた親御さんたちも同じようにしているというから、これも伝統のうちか。やるからには徹底してやるか、放任して自主性を涵養させるのがいいと中村氏は感じたそうだ。

このほかにも超人的な伝説として、廃タイヤのハンマー投げで20mとばしたとか、3年の夏の大会時に7割をマークしたときは「センター前ならいくらでも打てる」と豪語。また三盗に失敗したことがなかったことや、はじめからプロを目指して野球に取り組んでいたことや、工藤投手の「夏休みに海へ行けなくなるから負けましょう」ととぼけたエピソードなども話された。

質疑応答で、今昔の高校野球で変わった点はと筆者が尋ねたら、「(頭を)刈れ」「刈ったら巧くなるんですか」「大声出せ」「大声出したら(以下同じ)」という風になってコーチがやりにくいと話しておられた。また、中学生が高校に上がる前にすることはと聞いたら、「勉強することだな」という答えで些か拍子抜けしたものである。


中村豪氏の講演

何はともあれ、本物のプロとはかくありたいものであるというエッセンスは充分に感じ取れた講演だった。終わった後、大抵の人は試合が済むと帰ってしまったらしく、駐車場は疎ら。車に戻るとやたら車内が埃っぽくなっていた。どうやら他の車の砂埃だったらしく、閉めとけば良かったと悔やんでも後の祭り。正に不覚でした。

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