さよなら川崎球場
第4部
「川崎劇場ファイナルシーン メモリアルゲーム」にて(2000年3月26日)
試合は、3回表1番平井のタイムリーヒットでようやくロッテが1点を返す。しかしなおも1死満塁で打席に立った3番バリーは、ロッテ応援団の「魔法使いサリー」のテーマに調子が狂ったか? セカンドゴロ併殺打に倒れた。
続く4回にも先頭打者の4番石井の時に、「サッポロ一番」のテーマが流れた。石井は間の抜けたメロディにズッコケたか(笑)初球を空振り。しかし結果的にはセンター前ヒットを打ち、これが大逆転の口火となる。そしてボーリック、福浦も出塁した1死満塁で、8番堀が右中間へ逆転満塁ホームランを打ち込んだ。
さらに5回表にはバリーがライトスタンド上の防球ネット(通称「リー・ネット」)にぶち当てる2ランホームラン。この一発で、このネットも最後の役目を果たすことが出来た。
さてここでスタンドに「売り子馬鹿」のヨッシーさんの姿を発見。今回も日ハムユニフォーム姿だった。実は別に飲みたくはなかったのだが(笑)、ビール(ロング缶)500円を購入。そしてご挨拶をする。
ヨッシーさん登場
5回表ロッテの猛攻はまだ続く。1死三塁から6番初芝がライトスタンドへ落合ばりの流し打ちで2ランホームラン。さすが背番号6の後継者だ。2死後、今度は堀がセンター左に2打席連続ホームラン。さらには2死2塁から平井がレフト前へタイムリーヒットでこの回一挙6点。「川崎で育った選手たち」が最後の恩返しをする。
そして圧巻は8回表。この回先頭の2番小坂がライトスタンドへソロホームラン。続くバリーも今度は右打席でレフトへ2者連続ホームラン。さらにボーク、福浦のタイムリーヒットで2点を追加したあと、途中出場の立川がライトポールギリギリに入る、いかにも「川崎らしい」ホームラン。さらに続く小坂が、なんとこのイニング2本目のホームランをライトスタンドへ打ち込んだ。小坂は自分でも信じられないらしく、ホームインする時に首をかしげていた(笑)。
観戦中のダラ球会
ロッテの猛攻は9回にも止まらなかった。初芝が右中間に2本目のホームラン。2者連続で福浦もライトへ一発。なんとロッテは計10本のアーチ(これは公式戦なら日本新記録)で大量22点をあげた。
さて9回表のロッテの攻撃も2アウトとなったところで、レフト側スタンドを中心に「小宮山コール」が沸き起こった。しかし横浜ベンチは動くことなく矢野の続投。遠藤ピッチングコーチによると、「開幕を控えたこの時期に『サービス登板』は無理」とのことだが、是非小宮山と阿波野の姿も見たかったものだ。
試合は9回裏の横浜の攻撃を、ウォーレンが代打井上のヒット1本で抑えて4時40分ゲームセット。その瞬間にグラウンドには数多くの紙テープが投げ入れられた。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
ロッテ | 0 | 0 | 1 | 4 | 6 | 0 | 0 | 8 | 3 | 22 |
横浜 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 |
9回裏代打井上、川崎最後のヒットを打つ
(投手・ウォーレン)
試合終了と同時に紙テープが投げ込まれた
スコアボード
なお、この試合は「サントリーカップ」という冠がついていたため堀選手がMVPに選ばれ、試合後にはその表彰式が行われた。ヒーローインタビューの時には、初めはマイクの音声が球場内に流れておらず、堀は同じことを2度しゃべるハメになった。
MVPの堀選手
そのあと外野席から約2000人がグラウンドへ降りて来て、「ありがとう川崎球場」の人文字を作る(この中にダラ球会のメンバーもいたようだ)。ただしスタンドからだと文字は全然判別出来なかったが。
上空からはヘリコプターによる撮影。場内には「手を振ってお応え下さい」と放送される。そしてそのあと抽選会。ダラ球会からはおかピーくんが山本功児監督のサイン色紙が当たった。
「ありがとう川崎球場」の人文字
(スタンドからはよくわからない)
当選番号の発表
賞品の山本功児監督のサイン
5時15分にイベントはすべて終了。そこで我々は記念にネット裏で集合写真を撮影した。
記念写真
場外に出たあと、入場する時にはじっくりと見れなかった球場前を探索。過日、「川崎スタヂアム」と書かれたプレートが盗まれた跡を見てみた。門柱のプレート跡には無残にも貼り紙が。貼り紙にはこう書かれていた。
お願い 去る3月9日以前に、この門柱にありました 平成12年3月15日 株式会社 川崎球場 |
門柱には貼り紙が(右はありし日のプレート)
そして球場前広場のテントを見てまわる。そこでは「川崎球場ヒストリー展」をやっていて、1970年・74年のロッテ優勝時のフラッグやカップ、張本3000本安打・王700号本塁打の記念盾、1960年の大洋優勝記念カップ、MVP秋山登のカップ、村田兆治が200勝に挑戦した試合(1989年4月16・30日)の大入袋、オリオンズユニフォーム、サインボール、各種写真パネル、川崎球場年表などが展示されていた。そしてビデオ放映も行われていた。
「川崎球場ヒストリー展」
それらを眺めたのち、外野席で観戦していたダラ球会のメンバーとも合流。京浜川崎駅前の「白木屋」へ向かう。考えてみれば筆者は、川崎には球場へ行く目的以外では来たことがない。ということはもう当分この街には来ることが無いのだろうか。そういうことを思いながら川崎の街を後にした。
★★★
につづく