さよなら川崎球場

第4部「川崎劇場ファイナルシーン メモリアリゲーム」にてから続く

第5部

その後の川崎球場(2001年2月10日)

年も明け21世紀。前年の春に閉鎖された川崎球場はその後どうなっているのだろう。しかし川崎にはなかなか行く機会がなかった。そもそも今まで川崎には球場に行くためだけでしか行ったことがない。その球場が無くなってしまったら行く機会がなくなるのは当然である。

しかし2001年2月10日、川崎駅前にある川崎市産業振興会館で「地域スポーツと新球場に関する市民シンポジウム」というのが行われるという。しかも村田兆治の講演付き。これはいい機会だ。シンポジウムに参加するついでに川崎球場の跡地を見てこよう。

さて当日、11時すぎに川崎駅に到着。駅前の10番バスのりばから、臨港バス「川22系統・三井埠頭」行に乗り込む。これは球場に寄る前に「金子商店」に行ってみようと思ったからである。

バスに揺られること約10分、「浜町三丁目」で下車。バス停で降りるとすぐ目の前に金子商店が見えた。幸い営業しているようである。一部には閉鎖したというウワサがあったが、これで一安心。

1年ぶりの金子商店の店構えは以前のまんま。ただし一つ違いがある。それは入口の脇に「川崎球場のラーメンやここにあり」と書かれていたことだ。以前来た時に、2000年4月からは「川崎球場のラーメンと謳う」と言っていたのはこのことか。

入口の脇には、「川崎球場のラーメンやここにあり」と謳われていた

さっそく中に入る。まだ開店したばかりだった為、店内に客は誰もいなかった。まずは壁に貼ってあるメニューを見る。すると「球場ラーメン」というメニューがあったのですかさず注文。


メニュー表に「球場ラーメン」が登場

ラーメンが出来る間、店内を眺める。すると壁に「君と僕の思い出一杯 川崎球場」という展示物が飾られてあった。以前も球場ラーメンに関する新聞の切り抜きが貼られていたが、どうやらバージョンアップしたようである。


「君と僕の思い出一杯 川崎球場」

内容は、「メモリアルゲーム横浜−ロッテ」のチケットと大入袋、新聞や「週刊ベースボール」の切り抜き、写真など。その中に「1日の売上記録」という貼り紙があり、以下のように記されていた。いずれも野球でないのがちょっとさびしいが…。

  1日の売上記録  
  ラーメン 2000杯
(大仁田プロレス)
 
       
  焼そば 2400杯
(大仁田プロレス)
 
       
  かき氷 4000杯 日本一、世界記録?
(レゲエコンサート)
 

そうこうするうちにラーメンが登場。ラーメンは基本的に以前この店で食べたものと同じであった。厳密に言うと、1/2だったゆで卵が1/2×2個となり、代わりにワカメが消えていたが。店主に聞くと、以前の「ラーメン」の名前を変えただけだそうである。

密かに川崎球場で出していたものと全く同じものが出るのではと期待していたが、それは現実的には難しいだろう。全く同じにするには、量を減らしてなおかつ値段を50円高くしなければならないのだから(笑)。

かつての「球場ラーメン」 現在の「球場ラーメン」

店主に、これから村田兆治の講演を聞きに行くと言うと、「ああ、今日なんだ。俺も行きたいんだけどなぁ。もし村田に声をかけられたら『ラーメン屋がよろしくと言っていた』と伝えてくれ」と言われた。

ここで、これから金子商店に行ってみようと思っている人に営業時間の案内をしよう。「第3部」(2000年3月3日)の時とは若干変更されて、冬場には夜の営業も始めたそうである。これは兼業している製氷業のほうがヒマになるため。

  営業時間  
             
  11月〜5月   平日   11:30〜14:30  
          18:00〜22:00頃  
      日祝日   11:30〜16:00  
             
  6月〜10月       11:30〜15:00  
             
  月曜定休  

さて、金子商店をあとにして徒歩で川崎球場へ向かう。新川通りからさつき橋交差点を右に折れると不意に照明塔が見えた。一見すると閉鎖前と全然変わってないように思える。ただしよく見ると照明塔の数が6基から3基に減っていた。残っていたのは、一塁側2基とレフト側1基。

ほどなく球場の裏手へ到着。すると地震による倒壊が心配されたスタンドは全て撤去されていて、そこには茶色い地面が素肌をみせていた。しかしグラウンドは基本的にそのまま。ダッグアウトやバックスクリーンも残っていて、フェンスには広告まで残されていた。

バックスクリーン ライト後方から望む

また、球場正門や切符売り場、アメフト用の室内練習場が残っていたのは意外だった。だが正門に掲げられていた「川崎スタヂアム」のネームプレートのあった部分は依然空洞のまま。一体誰が持ち去ったのか。

本当はグラウンド内まで入ってみたかったのだが、当然のごとく工事中で立入禁止のため敷地外からしか眺められなかった(したがってここに掲載されている画像は全部外から撮ったもの)。

切符売場 正門

予定では2001年6月頃には「軟式専用球場」として再生するらしい。旧球場の面影を出来るだけ残した形での再生を期待したい。その時にはもう一度ここを訪れてみよう。

なお、隣接する富士見球場のほうも全面的に改築されていて、両翼80m、中堅100m、バックスクリーン付きの立派なグラウンドになっていた。以前は背中合わせに2面使用する典型的な草野球場だったが。

川崎駅に戻り、構内の連絡通路を抜けて西口へ向かう。西口へ降りるのはたぶん初めてだろう。賑わう東口と対称的にひっそりとした佇まい。おおむねJRの駅(特に地方)にはこういうパターンが多い。それはかつては駅の東側にしか入口が無かったためだろう。

西口から線路沿いに歩いて数分、川崎市産業振興会館に到着。会館前にはTVKの取材車が停まっていた。ニュースででも取り上げるのだろうか。


川崎市産業振興会館(右手前はTVKの取材車)

1階の受付でメールで申し込んだ旨を告げると、シンポジウムのパンフレットと花の種を手渡された。花の種なんかいらないやと思ったが、袋を見ると川崎球場の写真が載っている。これはなかなかレアアイテムかもしれない。ちなみに花の種類は大輪百日草。花ことばは「平和」。


花の種の袋

ロビーには「写真で見る川崎球場の歴史」という展示物が飾られていた。そこには球場開設当初の写真や川崎で行われたオールスターゲームの選手集合写真、大洋ホエールズやロッテ・オリオンズの優勝した時の写真、張本が3000本安打を記録した時の写真などが展示されていた。


写真で見る川崎球場の歴史

ロビーでそれらの展示物を眺めたりしていると、不意に村田兆治が会場に到着。あっと言う間に目の前の通り過ぎて行ってしまい、「ラーメン屋がよろしく言っていた」という言葉をかける間もなかった。せめてこの時に写真だけでも撮りたかったものだ。その後のシンポジウムは、「写真撮影禁止」だったのでなおさら残念。

シンポジウムは14時に開会。まずは川崎市助役による開会あいさつ。この人は川崎球場の社長も兼任しているそうだ。そして15分後、青いジャケット姿で村田兆治登場。「思い出の川崎球場」というテーマでの講演。

「2週間くらいの遠征から川崎へ帰って来ると、ロッカールームに置いてあったグローブやバットにカビが生えていた」とか「野次に対して、『オマエが投げてみろ』と思うことがあった」といった現役時代のエピソードや、引退後に行った北海道での野球教室の話などを投球フォームを交えて約1時間。

続いて「新球場整備に関する報告」のあと、パネルディスカッション。しかし村田兆治の講演が終わるとさっさと帰る人がかなりいた。これはちょっと残念だ。

パネルディスカッションの趣旨は、「旧川崎球場のこれまでの実績を振り返り、新たな球場の整備に向けて、地域とスポーツのあり方や、野球やアメリカンフットボールの将来と市民との関わりなど多角的な視点から、最近の動向を紹介し、市民の皆様に地域スポーツと新球場について理解を深めていただくこと」を目的としたもの。

パネリストは、「新球場整備準備委員会」から石井一夫氏(横浜国立大学名誉教授)、庄司佳子氏(川崎市地域環境リーダー)、諸岡達一氏(野球文化学会事務局長)、輿亮氏NHKアメリカンフットボール解説委員)、難波一尚氏(川崎市体育協会常務理事)の5名。論点としては主に以下の5点。

1.プロ野球との関わりをどう整理するか

・プロ一軍のフランチャイズを誘致
・二軍を中心としたメッカとする
・アマチュア中心とする

2.施設の基本的性格をどう設定するか

・野球場を中心にイベント、アミューズメント等の機能を備えた複合的施設とする
・野球とアメフトの共用施設を中心にイベント等の機能を備えた複合的施設とする

3.施設の規模をどうするか

・一軍の試合が可能な収容3万人以上とする
・二軍の試合や都市対抗決勝戦が可能な収容1万5千人規模とする
・アマチュアの試合を中心とした収容1万人規模とする

4.建設場所をどうするか

・旧球場が立地していた富士見公園に建設する
・等々力緑地に建設する
・第三の場所に建設する

5.施設の基本仕様をどう設定するか

・天然芝とするか人工芝とするか
・アメニティ施設について

ディスカッションの内容は途中経過報告のようなもので、結論はまだこれから先の話のようであった。建設場所についても、5年後くらいに作るなら等々力、10年後くらいになるなら旧球場跡地という方向性とのこと。

途中で海外のスタジアムや但馬ドーム、大館樹海ドームなどのスライド映写などもあったが、正直言って眠くなってしまった。それと元・毎日新聞社編集委員で野球文化学会事務局長を勤める諸岡達一氏が、地域密着型のプロ球団誘致の点で若干の認識違いをしている部分が気になった。

その後聴衆者からの質疑応答があり17時前に閉会。帰りには「新球場整備に係わるアンケート」を提出して退出した。

今度川崎に野球を見に来るのは一体いつになるのだろう。

★★★

第6部・「続・その後の川崎球場」

につづく

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