さよなら川崎球場

第5部「その後の川崎球場」から続く

第6部

続・その後の川崎球場(2001年11月17日)

「地域スポーツと新球場に関する市民シンポジウム」から9ヶ月。不意に川崎に行く用事が出来た。これはいい機会だ。5月に軟式専用球場として生まれ変わった“新生”川崎球場を見に行こう。

東海道線で9時40分頃川崎駅に到着。用事のほうはものの1時間もしないで終了した。


川崎駅前の案内図には「川崎球場」の文字が

とりあえずラーメンを食べて腹もふくれたところで、「いざ、川崎球場へ!」 ちなみにラーメン屋を出てすぐのところに「旧東海道」と書かれた碑を発見。まぁそれはどうでもいいのだが、なにやらその地帯にはソープランドがやたらと目に付く。そこでふと、地名を見てみると合点がいった。ここがあの名高い「堀之内」だったのである。その名は以前から聞いていたが、実際に足を踏み入れたのは初めてである。ホントだぞ…(笑)。

旧東海道 堀之内ソープ街

堀之内から少し行くと川崎競馬場の前へ出る。ふと競馬場に掲げてある看板を見ると、「川崎競馬場」の文字とともに「鰍謔ンうりランド」と書かれていた。ということは、川崎競馬場はよみうりランドが運営しているってことだろうか? これは初耳である。

川崎競馬場 看板には「鰍謔ンうりランド」の文字が

競馬場から南へ向かうと間もなく見慣れた川崎教育文化会館が見えた。その前には広域避難場所を表示した地図があり、よく見ると「変ゲル」「マドロック」という落書きがあった。たぶんこれはロッテ・オリオンズがあった時期に書かれたものではないとは思うが、昔を偲ぶ物件として感慨がある(笑)。

広域避難場所の地図
「変ゲル」と「マドロック」の落書き

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