宮城球場

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ここで球場の概要を。1952年の第7回国体に備えて、1950年5月27日に開設。そして1973年に照明設備が完成。当時は地方球場でナイターが出来る球場が少なかった為、東京スタジアムを使えなくなったロッテ・オリオンズが、1973年から1977年にかけて暫定的なフランチャイズとして年間30試合前後使用した(1973年は準フランチャイズ扱い)。

1974年にはパリーグプレイオフも開催され、ロッテが阪急を破り年度優勝を決めた。しかし収容人員の関係から日本シリーズは後楽園球場に持って行かれる。また、1992年には地方球場としては初めてのプロ野球オールスターゲームが開催された。

グラウンドは両翼91.4m、中堅121.9m。照明塔は昔ながらの鉄塔型のものが6基。なんとなく「蝿タタキ」を連想させる形である。スコアボードは手書きで(得点表示部分のみ電光式)、字体がなかなか味わい深い。DH制非対応のため、投手とDHは攻守交代のたびに交互に表示していた。

ネット裏から
   
一塁側から 三塁側から
   
スコアボード

収容人員は28612人。座席はネット裏が背もたれ付き、内野席はネット裏に近いほうは背もたれ付きの長椅子で、その他はコンクリート製の長椅子。外野は芝生席。内野席と外野席は盛り土の上に観客席が設置されている。内野席はほぼグラウンドレベルに位置しているので、ブルペンを間近で見ることが出来る。

地方球場としては広告が多く、「萩の月」、「白松がモナカ」などのローカルなものが目立った。なお、1985年6月に改修が行われたようであるが、今でも古き時代の雰囲気を残した大変趣きのある球場である。

内野のコンクリート席 内野席はほぼグラウンドレベル

売店はスタンド下のちょっと奥まった所にあり、ちょっと寂れた感じでここも独特のいい雰囲気。売っていたものは、おでん(350円)、やきそば(350円)、天ぷらそば(500円)、牛丼(500円)、カレーライス(600円)、幕の内弁当(駅弁業者の「伯養軒」製・1000円)、リブフランク(300円)、ジャンボ焼き鳥(300円)、生ビール(600円)、酒(500円)、ホットコーヒー(200円)、清涼飲料水(紙パック100円、紙コップ入り200円)など種類も豊富。だが、前回来た時にあった「いかぽっぽ」が無かったのは残念である。


売店

先発ピッチャーはロッテ・小野、オリックス・小林13時でプレイボール。2連戦の2試合目のためか試合前のセレモニー等は特に無し。2回裏、ロッテが6番初芝のレフトポール際の最上段に打ち込む2ランホームランで先制。しかしオリックスはすぐさま3回表、2番大島の2点タイムリーヒットで同点に追いつく。するとその裏、ロッテは4番石井の2ランホームランなどで3点を奪い再びリード。

このへんでちょっとスタンドの様子を見てみよう。一塁側内野スタンドには、「JR東日本小坂誠後援会」の旗が振られていた。さすが地元である。今回の試合の告知ポスターもイチローと並んで小坂の写真が使われていた。


試合の告知ポスター

一方、三塁側内野席にはオリックスの応援団がいた。外野席ではなく内野席にいるのは珍しい。そしてライトスタンドには、おなじみロッテ応援団。たぶん大部分のメンバーは地元の人ではないだろう(笑)。


ライトスタンドのマリーンズ応援団

なお、ライトスタンド後方には16階建ての「JR宮城野アパート」が聳え立っている。ここからだとグラウンドがよく見えそうだが、覗いている人はいなかった。

JR宮城野アパートからの眺め
   
ライトスタンド後方にあるJR宮城野アパート

4回表、オリックスは4番イチローがレフトスタンドへソロホームランを放ち、反撃の姿勢を見せる。だが、その裏登板したカルロスが2死後、9番諸積の顔面に死球をぶつけてしまう。諸積は担架で退場。カルロスの申し訳なさような表情が印象的であった。ここでロッテナインの闘志に火がついたのか、その後代わった牧野にボーリックが満塁ホームランを浴びせて9−3。これで勝負は決まった。

その後オリックスは9回表にウォーレンを攻め3点を奪うが時すでに遅し。10−6でロッテが勝利をおさめた。勝利投手はこのシーズン初勝利の小野。のちに「サンデー晋吾」と呼ばれる端緒となる試合となった。

帰りは、17時54分仙台発の新幹線「やまびこ」に乗車。あいにく満席で、仙台駅で買った駅弁は広げることが出来なかった。しかし酒だけはデッキに立ちながら飲んだ。車内にはロッテのユニフォーム姿のファンが見受けられた。やはり東京から来たのだろうか。

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