香川県営野球場

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ここで球場の概要を。開場は1982年7月1日。グラウンドは面積14050u、両翼96m、中堅122m、内野は土で外野は天然芝。照明塔は1993年7月15日に6基が設置され照度は内野2000ルックス、外野1000ルックス。スコアボードは磁気反転式で、これも照明の設置と同時に改修されたもよう。おそらく前述の東四国国体開催に向けての改修であろう。ブルペンはファウルグラウンドに各1人分あるほかスタンド下にもあり、そこは球場の外からわずかに覗くことが出来る。

ネット裏から 一塁側内野席から
   
三塁側内野席から スタンド下のブルペン
   
スコアボード

観客席はネット裏と内野席の下段は背もたれ付き、内野上段は長椅子で収容は11200人。外野は全て芝生席で収容10800人の合計22000人。内野席のネットは頭より低い高さなので最前列に座っても視界を遮らない。なお、一塁側内野席にはネットで囲われた身障者席がある。

内野席(下段) 外野席
   
内野席のネットは低い ネットで囲われた身障者席

コンコースには売店があり、幕の内弁当1000円、おにぎり弁当700円、焼きそば400円、焼き鳥250円、フランクフルト250円、中華まんじゅう100円、カップヌードル200円、マグナムドライ300円、日本酒(熱燗・冷酒)300円、ジュース150円などが売られていた。

そして驚いたのは「うどんコーナー」。なんと自分で湯掻いてつゆを入れるのだ。まさか球場内でもセルフ方式だとは思わなかった。おそるべし讃岐うどん! なお、値段は小250円、大400円で天かす、ネギは入れ放題。

うどんコーナー なんと自分で湯掻くセルフ方式
   

なお、2000年6月には6615件の一般公募の中から第1位となった「オリーブスタジアム」という愛称が付けられた。これは子どもが県知事との対談の中で、「野球場に愛称をつけると親しみが持てる」と提言したのがきっかけだそうである。ちなみに他の候補としては「うどんスタジアム」というのもあったらしい(笑)。

しかしながら筆者が訪問したこの日の時点では、球場正面の表示も「香川県営野球場」のみで、どこにも「オリーブスタジアム」の表記は見当たらなかった(その後表示されたもよう)。

さて、そろそろ試合が始まる。まずは両チームを代表して阪神・桧山、広島・東出に花束贈呈、そしてサインボールの投げ入れがあり、13時半にプレイボール。先発投手は阪神・福原、広島・佐々岡。2回裏、阪神は2死一、三塁から8番山田の右前打で1点を先制。そして4回裏には1死一、三塁から今度は山田の遊ゴロの間に1点が追加された。

7回裏が始まる前、ちょうどタイガースファンによるジェット風船が上がる時に突如地震が発生した。いままで数百試合観てきたが、球場で地震に遭ったのは初めてである。選手たちもベンチから飛び出してきた。しかし試合のほうは幸い中断することなく続行された。震源地は安芸灘で広島県では震度5〜6あったそうである。


この時地震が…

8回表、広島は1死三塁から1番木村拓の中犠飛で1点を返す。そして9回表には1死後3番ロペスが、この回から登板した成本から左中間に同点のソロホームランを打ち込み、結局そのまま2−2の引き分けに終る。16時22分試合終了。

帰りは往復切符を買ってあるので当然臨時バスに乗る。駐車場には観光タイプのバスが数台待機していて満席になり次第順次発車していた。帰り道は野球帰りの自家用車で多少混んでいたので高松駅まで28分かかった。そして駅に行くと「四国地方地震のため運転を見合わせています」という案内がなされていた。

しばらくすると運転が再開されたので「快速マリンライナー」に乗り込む。しかし児島までは時速25km/hの徐行運転で、おまけに単線区間では列車交換に時間がかかり、岡山まで通常なら1時間程度のところが2時間44分もかかってしまった。しかも車内は通勤ラッシュなみの大混雑であった。

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