豊平どんぐりスタジアム

(ゲスト寄稿/広島県・いの一番さん)

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豊平町は広島市の北隣にある山あいの町だ。有名観光地がないので知名度は低いが最近は「そば」を特産品にして町おこしをしている。2002年6月9日、ここでウエスタンの広島−サーパス神戸の試合があるので見に行くことにした。広島市内の筆者の自宅から大した時間がかからないので、朝ゆっくりできるのがありがたい。

11時30分、球場のある「豊平どんぐり村」に到着した。ここは球場以外に道の駅、温泉宿泊施設、そば打ち道場、体育館、グラウンドなどがあるレジャー施設で、日曜ということもありたくさんの人で賑わっている。

駐車場に車を停め球場へ向かう。球場正面には軽食を販売する露店が出ており、サーパスの選手が2人かき氷を食べていた。入場無料なのでそのままスタンドに入る。初めての球場なので中がどんな様子か興味があったのだが、グラウンドを見た瞬間、筆者は唖然としてしまった。なぜなら外野は緑の芝生ではなく茶色い砂だったからだ。もしかしてここは芝生が茶色なのか? と思いよく見直したのだが、もちろんそんな訳はなく明らかに外野は砂である。

これには驚いた。試合をするのは草野球チームではない。二軍とはいえプロなのだ。風が吹けば砂ぼこりが舞い、ダイビングキャッチでもしようものならケガをしそうなグラウンド、こんな条件の悪い所で試合をしてもよいのだろうか。大体広島はここで今まで何回かウエスタンの試合をしている。今回の試合が組まれたということは、これまで誰も問題にしていないからだろうが、何とも理解し難いことだ。

ネット裏から
(外野の砂に注目)
スコアボード
   
ライト側から 左中間から

さて、試合の方であるが、豊平町長のあいさつ、両軍監督に花束の贈呈、地元少年野球選手の始球式という恒例のパターンの後、12時に始まった。広島は矢野、サーパスは川口の先発だ。


始球式

矢野は1回表を3者凡退に抑えたが一方の川口は大乱調で、1回裏先頭の岡上にヘルメットをかすめる死球を与え警告を発せられた。さらに盗塁を許し暴投もして無安打で1点を献上、その後も四球を連発し、たまりかねた中尾監督が自らマウンドに行き説教する始末。これがその場では効いたのか、1回は1点で切り抜けたが、2回にもまた四球を連発しホームランを打たれるなどして4点を取られ5−1、これで試合の流れはほぼ決まってしまった。

川口の投球がボールになるたび、スタンドからは失笑が漏れ、心無い野次も飛んでいた。しかし筆者はかつて甲子園で大活躍した彼がストライクも取れずに苦しんでいる姿に淋しさを感じた。このような光景は見ていてつらいものがある。試合は結局この序盤の得点が効いて7−6で広島の勝ち、サーパスも粘ったがあと一歩及ばなかった。

球場の外に出ると、サーパス球団所有のバスが正面に横付けされており、選手を乗せると走り去って行った。筆者は由宇でもこのバスを見たことがあるが、サーパスは広島と試合をする時はバスで移動しているようだ。神戸からは相当の時間がかかるはずだがご苦労なことである。筆者も帰宅することにし、特産のそばを買って砂の球場を後にした。

なお、最後になったが球場の概要は次のとおりである。

完成:1997年
交通:広島自動車道広島北I.Cから車で20分
グラウンド:両翼91m、センター120m、内野土、外野砂
スタンド:ネット裏長いす席、その他芝生席
スコアボード:得点−電光式、打順表−手書き式

 

<追記>

2005年2月、豊平町は周辺の町と合併し、北広島町の一部になった。もしかして合併のご祝儀事業で外野を芝生化してくれるのでは、とひそかに期待したが一向にその気配はなし、正直「こりゃ、ここは永久に砂のままか…」と思い始めた。

しかし2009年、ついにどんぐりスタジアムは生まれ変わった。外野が芝生化され、同時に色あせたフェンス、バックスクリーンそしてスコアボードがきれいに塗り直されたのだ。スコアボードには「心ひとつに 北広島町」の文字と「むすび むさし」の広告が入った。

改修の記念試合は8月23日に行われた広島−ソフトバンク、結果は8−5で広島が勝利し球場の再出発に花を添えた。

また、正面玄関には2009年4月に亡くなったボール犬、ミッキー君の記念プレートが設置された。ミッキー君は地元豊平在住でウエスタンの試合にも3回登場、その他町内の行事にも参加して親しまれており、その功績を讃えてのものである。

やっとまともになったどんぐりスタジアム、苦しい経済状況の中、筆者が観戦した2002年以来、地元はがんばって毎年ウエスタンを開催しており、しっかり年中行事の一つとして定着している。今後も地元のファンのため途切れることなく試合を行ってほしいものである。

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