大和引地台野球場

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1998年5月31日、小田急江ノ島線の桜ヶ丘で下車。小田急の車内には湘南へ行くサーフボードを抱えた茶髪のニイチャンがいっぱい居た。

引地台球場へはこの桜ヶ丘がいちおう最寄駅だが、大和駅から歩いても20分くらいである。また、大和からは「引地台公園」行のバスも走っている(ただし本数は少ないのであまり役に立たない)。

この日行われる横浜−ヤクルト二軍戦は「大和市市制40周年」を記念したもので、市長のあいさつによると大和市でプロ野球が行われるのはこれが初めてとのこと。

この球場は、球場ロビーに置いてあったパンフレットによると、1998年開催の「かながわ・ゆめ国体」で使用するために2年半の改修工事を経て、1996年に全面人工芝、電光掲示板等を有す本格的野球場として生まれ変わったそうである。

その際に、漫画家の水島新司氏にアドバイスを受けたことから「ドカベンスタジアム」という愛称を付け、正面玄関ロビーには「ドカベン」のキャラクターが描かれた大きなイラストが3枚飾られるようになった。落成式には水島氏の講演会も行なわれたとのこと。

そして球場改修の総仕上げとして、1997年7月には球場正面に「ドカベン」の山田太郎と里中智のブロンズ像が建てられた。力強さや優しさを持った二人は、この球場で出会う青少年達に未来に広がる夢や希望を与えてくれるそうである。

なお、大和市と水島氏の間に特にゆかりがあるわけではなく、「ドカベン」の舞台が神奈川県だからというだけの関わりのようだ。ちなみに氏が何故神奈川県を舞台にしたかというと、高校野球のレベルが高かったからだそうだ。

球場の外観はレンガ風のなかなかシャレた造りである。両翼95.0m、中堅120.0m、収容人員11000人。。グラウンドは全面透水性砂入り人工芝で、東京の大田スタジアムに雰囲気が似ていると感じた。スコアボードはLED方式の電光掲示板である。

さて、試合は横浜・マホームズ、ヤクルト・五十嵐が先発で午後1時にプレイボール。

まず2回表にヤクルトが津川の2ランホームランで2点を先取。

だがすぐその裏、横浜・宮川に同点2ランホームランが飛び出した。

そして3回裏には、ピッチャーながら俊足のマホームズがバントヒット。ランナーが入れ替わった後、松久保に勝ち越し2ランホームランと、両軍ホームランの応酬でシーソーゲームになった。

そして4回裏には、新井のタイムリーヒットと松久保のセーフティスクイズで横浜はさらに2点を追加。

しかしヤクルトも6回表に、無死満塁から高梨の2点二塁打と三木の犠牲フライで、6−5と1点差に詰め寄った。

そして8回表にトラブルが起こる。一死満塁から三木がセンターへ大飛球を飛ばした。これを松久保が好捕。しかし当然犠牲フライとなり同点と思われた。ところが1塁走者の高梨が前の走者を追い越しアウトの判定。

さらにこれを審判が2度も判定を翻すという不手際をする。そして結局20分間の中断ののちに「提訴試合」として試合は再開された。この間、筆者は客席に横になって寝ていた。

結局この走塁が尾を引いて、ヤクルトは1点差のまま最後は横浜・渡辺に抑えられて午後4時25分にゲームセット。

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