長根球場

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1998年6月27日10時33分、八戸線の本八戸駅に降り立つ。東北本線にも「八戸駅」があるが、そちらよりも本八戸駅のほうが町の中心地に近い。そして長根球場のある「長根運動公園」は、本八戸駅から歩いて15分くらいのわりと便の良い場所にある。

この日行なわれる、西武−巨人(イースタンリーグ)の試合開始は13時半である。まだ3時間近く時間があるが、これはなにぶん八戸線の列車の本数が少ないのでやむをえない。

そこでとりあえず球場へ行き、入場券(ネット裏2500円)を買ってから昼食をとることにした。球場は繁華街に近く、店には困らない。近くの「イトーヨカドー」7階食堂街の中華料理店に入り、Bセット(マーボーナス、マトウ鯛マスタード炒め、餃子など)を食う。さらにこの日は暑かったので、ビールも注文した。普段は昼からは飲まないようにしているのだが…。

昼食を終え球場へ戻り、ネット裏最上段に腰をおろす。

長根球場の開設は1952年10月。両翼のフェンスには「91m」という表示があるのだが、中堅には距離の表示が無い。そのかわり左中間と右中間のフェンスに「115m」という表示があった。

内野席は全て長椅子で、外野は芝生席。照明塔は6基。スコアボードは手書きの小ぶりなもので、ポジション欄が無い。収容人員は8000人。

先発投手は西武・ブロス、巨人・大場。メンバー発表の時、巨人の佐々木明義に拍手が起こった。そこで選手名鑑を見てみると地元青森県の出身(三沢高校)であった。

1回表巨人は2死3塁から、4番大野倫の二塁への小飛球がショートバウンドと判定されるラッキーな当たりで1点を先制した。しかし2回裏西武は、3四球による2死満塁から9番黒田も四球を選んで同点。

すると4回表に巨人に大野倫にレフトポール際場外に飛び出すホームランが出て1点勝ち越し。だが、すかさず西武はその裏黒田がタイムリーヒットを放ち同点。

そして5回裏には、この回から代わった巨人・小林からペンバートンがレフト場外へ勝ち越しのソロホームランを放った。ホームランを打ったペンバートンには、レオ人形ならぬ、「スヌーピー」のぬいぐるみが手渡された。これはこのゲームの協賛企業、青森銀行提供によるものだそうだ。

6回表巨人は、また大野倫が左中間にタイムリー二塁打を放ち同点。そして7回表には無死満塁から9番堀田が押し出しの四球を選び、3度目の勝ち越し。ここでブロスは交代となる。そして代わった平良から1番福井がショートゴロを放った。これを黒田がエラーをしてさらに1点追加。

8回裏にまたもペンバートンがレフト場外へホームランを打ったが、1点及ばず結局5−4で巨人が逃げ切った。

この日の客の入りは、定員の大体8割程度。試合前には晴れていて少し暑かったが、途中で曇ってきたので観戦にはちょうど良いコンディションであった。

本八戸17時30分発の列車で八戸へ。特急「はつかり17号」に乗り換え青森駅には19時ちょうどに着いた。今日は青森に泊まって、翌日は青森県営野球場へ行く予定である。

そして駅からホテルに向かって歩いて歩いていると、西武の選手たちがユニフォーム姿のまま、ホテルの前でトラックから荷物を降ろしている光景に出くわした。街中でユニフォーム姿の選手たちを見るのも珍しいことだ。

二軍の選手たちは、荷物の積み下ろしも自分たちでやるようで、それは外国人のペンバートンも例外では無いようだ(ただしブロスだけは例外らしく、球場を出る時もひとりだけタクシーに乗っていた)。

ちなみに選手たちのホテルは「青森グランドホテル」だったが、筆者はボロいビジネスホテルに泊まった。


(ゲスト寄稿/広島県・いの一番さん)

2002年9月28日、東北旅行中に時間の余裕があったので、長根球場を訪ねてみた。この日は地元の軟式野球チームが試合をしており、スタンドが開放されていたので中に入ることができた。

約20分滞在して場内を観察したが、特に最近更新したと思われる設備は見当たらなかった。4年前にむさしさんが訪問した時とは何も変わっていないようである。

また、センターのフェンスに距離表示のないのもそのままで、そこだけ色が違うため元々表示のあった箇所を消しているのがよくわかる。しかし、なぜ表示を消して、しかも違う色で塗ったのかは謎である。

なお、季刊「ベースボールマガジン」2001年夏季号によると、センターまでの距離は120mとのことだ。

ネット裏からライト方向 三塁側から
 
バックスクリーンとスコアボード

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