阪急西宮球場

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1936年1月に発足した「大阪阪急野球協会」(阪急ブレーブス)の本拠地球場として同年12月1日に地鎮祭。昼夜兼行の突貫工事で翌1937年4月30日に竣工された。

当初は西宮北口駅の真上に作る構想もあったという。また、駅の改札口と球場の入口を直結するという案もあったが、いずれもライバルの阪神電鉄所有の土地がネックになって実現しなかったらしい。なお建設にあたっては、シカゴ・リグレーフィールドとクリーブランド・インディアンスの本拠地を参考に。

ちなみに大阪阪急野球協会は、西宮球場が出来るまでは日本初のプロ野球チームである日本野球協会(芝浦協会)の後身である宝塚運動協会の本拠地だった宝塚球場を1年間使用した。

開場式は1937年5月1日。記念試合として滝川中−浪商、興国商−甲陽中が行われた。そしてプロ野球の初開催は同年5月5日の阪急−名古屋戦。中等学校の試合のほうが先に行われたところに、当時の職業野球の地位がうかがわれる。

1949年3月26日には日本初の組立式バンクにより競輪場としても稼動。1953年5月5日には照明設備が完成。1978年4月には内野を除いて関西初の人工芝化。1982年にはこれも関西初の、縦6m×横8.4mのアストロビジョンを有す電光掲示板が設置された。


電光掲示板(中央がアストロビジョン)

1989年には阪急ブレーブスがオリックスに球団譲渡されたが、1990年までは本拠地として継続使用。1990年には内野にも人工芝が敷かれ全面人工芝となった。1991年にオリックスが神戸に移転。そのためアメフト、競輪などの使用中心となったことから1992年に「阪急西宮スタジアム」と改称される。また同年ラッキーゾーンが撤廃された。

グラウンドは両翼101m(ラッキーゾーン撤去前は91.4m)、中堅118.9m。敷地面積は約155000u、グラウンド面積は13845u、照明塔は6基でバッテリー間の平均照度は3500ルクス、内野2700ルクス、外野1850ルクス。

収容人員は資料によりマチマチだが、「'77阪急ブレーブスイヤーブック」によると、特別席2884人、指定内野席28596人、外野席11800人の計43280人となっている。内野には二階席、内野席と一部と外野席の一部には屋根付き。

ネット裏から
   
ネット裏二階席から 一塁側から
   
一塁側二階席から 三塁側二階席から
   
外野席 ラッキーゾーンがあった頃(1991年)

筆者が初めてこの球場を訪れたのは、たしか1970年代の後半と思われる。阪急−日本ハム戦を観戦する予定だったのだが、あいにくグラウンドコンデション不良のため中止になってしまった。結局実際の初観戦は、それから10数年後の1989年8月4日のオリックス−ロッテ戦。阪急時代に1回も観れなかったのは悔やまれる。

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