鶴岡ドリームスタジアム
1999年10月10日、午前5時20分に自宅を出る。6時頃新宿に着くと、中央線が信号機故障のためストップしていた。
そこで代わりに山手線で東京駅へ向かおうとすると、今度は山手線も隣のホームに人が転落したとかで、新宿駅のホームに差し掛かったところでストップしてしまった。いきなり朝から幸先が悪い。
しかし山手線は数分後に無事発車、6時40分発の上越新幹線「あさひ303号」に間に合うことが出来た。
そして8時53分新潟へ到着。特急「いなほ1号」に乗り換え11時56分鶴岡に着いた。鶴岡に来るのは、たぶん高校の卒業旅行以来18年ぶりだろう。
駅から5分くらい歩き「庄交モールバスセンター」へ。バスセンターに併設されているダイエーで昼食を買って、11時25分発の庄内交通バス「坂の下」行に乗る。
車内ではテープによる案内が流れたが、それが少し訛っていてとてもローカルな味わいがあった。そして所要18分で「稲生町(いなおいまち)」というバス停で下車(運賃300円)。バス停から5分くらい歩くと、「鶴岡市小真木原公園」の西ゲート前に出た。
この公園には野球場の他に、陸上競技場、テニスコート(冬季はスケート場になる)、総合体育館、相撲場などがあった。
今日はここで「国際親善野球大会・全日本−キューバナショナルチーム」の試合がある。入場料は内野大人2500円、内野小人1500円、外野大人1000円、外野小人(小中学生)無料となっていた。そこで内野席券を買うとパンフレットも一緒にくれた(ただし中身はほとんど広告)。
なお、チケット売場となっているテントでは、全日本グッズ(帽子、ポロシャツ、Tシャツ、ユニフォーム型シャツ、メガホン)や社会人野球専門紙「グランドスラム」も販売していた。
また、球場前には清涼飲料水の自販機があったが、通常120円のところを「本日はキューバ戦につき150円販売とさせていただきます」という貼り紙がしてあった。ちょっとセコイ。
さて中に入ると、さっそく蘭兵衛さんから電話がかかってきた。蘭兵衛さんは前日新津に泊まって、普通列車を乗り継いで鶴岡にやって来て、早々と球場に到着していた。ちなみに今日のキューバ戦のスケジュールの情報源は蘭兵衛さんである。
さっそく三塁側スタンド最上段で蘭兵衛さんと落ち合う。予想に反して内野席は満員だったが、蘭兵衛さんはちゃんと筆者のぶんの席も確保していてくれた。蘭兵衛さんによると、東北地方はわりとどんな試合でも客が良く入るのだそうだ。
さて、試合開始予定時刻の5分くらい前になって、ようやくスタメンが発表された。参考までにここに記しておこう。
全日本 | キューバ | ||||
8 | 高見沢 | 東京ガス | 8 | ゴメス | |
9 | 中村(勝) | いすヾ自動車 | 9 | マルティネス | |
3 | 軽部 | 日石三菱 | 7 | ドゥエニャス | |
DH | 清水 | 鷺宮製作所 | 5 | ピエレ | |
2 | 高根沢 | 三菱自動車川崎 | 4 | マシアス | |
6 | 沖原 | NTT東日本 | 3 | チャペジー | |
5 | 平馬 | 東芝 | DH | ピドゥー | |
7 | 池葉 | NTT東日本 | 2 | ペスタノ | |
4 | 山崎 | 本田技研 | 6 | カストロ | |
1 | 藤田 | 川崎製鉄千葉 | 1 | (ホ)マチャド |
全日本は、先日の「シドニーオリンピック・アジア予選」の時とは違って、当然プロはいない。またそれ以外のメンバーもだいぶ違っているようだ(特に学生が少ない)。一方キューバは、リナレス、キンデランといったところがいないので、筆者の知ってる選手は誰もいない。
そのあと開会式は始まり、両チーム選手がファールラインに沿って、扇型に整列した。そして日本国歌、キューバ国歌の吹奏。
普段筆者はプロ野球では、国歌吹奏の時にはあえて立ち上がらないのだが、今回は起立をして両国国歌を聴く。たぶんそうさせる雰囲気があったのだろう。
続いて主催者のあいさつ。これにはキューバ人の通訳が付いた。しかし鶴岡市長のあいさつの時には、センテンスが長すぎたため、通訳が途中でついていけなくなってしまい、スタンドから笑いが起きた。
そして鶴岡中央高校野球部の女子マネージャーの始球式。マネージャーながらちゃんとユニフォームを着ていて、山なりながらノーバウンドでキャッチャーまで届いた。
そして当初の予定よりだいぶ遅れて、13時25分にプレイボール。1回表、全日本は2死から4番清水のセンター前ヒットで1点を先制。だたし3つのアウトは全部空振り三振だった。
余談だが、選手名のアナウンスはフルネームでなされたため、清水の打席ではスタンドから笑いが起きた。何故かというと清水の名前が「アキラ(晶)」だったからだ。全日本の4番といっても、一般的にはまったく無名なのだからやむを得ないのだろうが。
また、イニングが終了するごとに、いちいちその回の得点の場内アナウンスがあった。そんなものスコアボードを見ればわかると思うのだが、蘭兵衛さんによるとアマチュアではよくあるとのことだ。さすがに詳しい。なんせプロとアマと大体半々くらいの割合で観戦しているというから。
3回表全日本は2死1、2塁から高根沢が右中間に二塁打を放ち2者を還す。これで3−0。その裏キューバは2死満塁と攻めるが、全日本の好守備に阻まれ無得点に終わった。
さて、鶴岡ドリームスタジアムは開設1999年7月とまだ出来たばかり。名称は公募によって決まったらしい。両翼97.6m、中堅122m、照明塔は6基。
スコアボードは磁気反転式だが、選手名は白地に黒字の手書きである。そしてポジション表示は、打順になるとオレンジ色から緑に色が変わる(ただしこれはデーゲームだとわかりづらい)。
またネット裏のボールカウント表示の下には球速表示器があったが、この日は作動していなかった。
観客席は内野はすべて長椅子。外野は芝生席となっている。内野は前述の通り満員で、外野席も半分以上は埋まっていた。スタンドは禁煙で、階下のコンコースに喫煙所が設けられていた。
そしてこの球場の最大の特徴は何と言っても、内野を含む総天然芝グラウンドである。国内の公式試合が行なわれる球場としては、人工芝化前の後楽園球場以来実に24年ぶりの復活だ。ただしすでにダイヤモンド内の角やホームプレートの周辺の芝が少しハゲかかっていた。今後のメンテナンスが気がかりである。
なお、シドニーオリンピック予選会場のソウル・チャムシル球場が総天然芝だったため、全日本は事前の合宿をこの球場で行なった。その関係から今回の親善野球の会場となったのかもしれない。
売店はスタンド内に何ヶ所か出ていて、清涼飲料水150円(自販機の値段と同じ)、缶ビール300円、弁当(焼肉弁当、かつ重など)各500円、お菓子100円などが売られていた。この日は10月ながら暑かったので、筆者は冷たいお茶を買った。
さて試合に戻る。6回裏キューバは1死後、3番ドゥエニャスがレフトスタンドへソロホームランを放ち、ようやく1点を返す。キューバナショナルチームというと豪快な打撃が印象に強かったが、今回のチームはそれ程打線に迫力がない。なお全日本の投手は、気が付くといつのまにか木村(七十七銀行)に代わっていた。
9回表全日本は7番平馬が打席に入る。みんな先日のオリンピック予選の台湾戦でのサヨナラヒットを憶えているので、拍手が起きる。そして平馬はその期待に応えて見事レフトスタンドへソロホーランを打ち込んだ。だがここで事故が起こる。
ホームランボールを取りに行った観客が、ボールを顔にぶつけたらしい。その客は芝生席に寝転がったまま、タオルで顔をおさえている。しばらくすると救急車が到着。この間ゲームは進行しているのだが、観客の視線の多くはずっと外野席に注がれていた。
そして再びグラウンドに目を向けると、9回裏キューバはいつのまにか2点を奪い、1点差に詰め寄っていた。しかし反撃もそこまで。最後のバッター・ゴメスがハーフスイングの三振をして、16時5分試合終了。4−3で全日本が逃げ切った。
試合終了後には、ホームプレートの前で両チームの選手たちが列を作り握手を交わした。なお、このあとグラウンドでは、引き続きキューバの打撃練習が行なわれる旨がアナウンスされた。
でもそれまで見てると遅くなってしまうので、球場を後にしてバスで鶴岡駅に戻った。そして17時25分の特急「いなほ」に乗り、新潟で新幹線へ乗り換え。ちなみに筆者は、翌日に天童で行われる第2戦も観る予定である。ただし一旦自宅へ帰ることにした。
これは「ウイークエンドフリーきっぷ」を使っているので、東京へ戻ってから出直しても交通費が一緒だからである。そこで宿泊費を節約するために自宅へ帰り、また出直すというスケジュールにした。
この切符はJR東日本エリアが週末の2日間、新幹線や特急(ともに自由席のみ)を含め乗り放題なので、東北地方に出掛けるには極めて使い勝手が良い。ちなみに距離の目安としては、東京から東北新幹線なら福島以遠、上越新幹線なら長岡以遠に1往復すれば元がとれる。