大阪球場
さて、次にここを訪れたのは、1991年のこと。すでにこの時には「なんば大阪球場住宅博」とその姿を変えていた。正面入口から入るとそこには住宅展示場の受付が。無視するわけもいかないので、「住宅購入に関するアンケート」に適当に答えてから中に入った。
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なんば大阪球場住宅博に | アンケート記入用のボールペン |
グラウンドに出てみると、土だったところに一面コンクリートが敷かれていて、その上に家が何軒も建っていた。そして何故かボートも何隻か置かれていた。しかし観客席やスコアボードなどはそのまま残っている。非常に不思議な光景だ。そしてとりあえず一塁側のダッグアウトに座ってみた。この場所に野村克也や広瀬叔功や鶴岡監督などが座っていたんだなぁとしばし感慨に浸る。
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グラウンド上 | スコアボードは健在 |
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外野席方向 | 内野席方向 |
そしてスタンドにも登ってみる。左中間にある「あぶさん」のイラスト看板もまだ健在だ。しかし帽子がダイエーのマークに描き直されていた。住宅展示場などをいつまでも見てても仕方がないので、その後ぐるりと一回りして球場を後にした。
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1998年8月24日には、とうとう取り壊しが始まるというのを聞いて「最後のお別れ」に行ってみた。ジャンジャン横丁で飲んだあと、ひとりフラフラと難波まで歩いて大阪球場へ。
球場に近づくと何故か、やけに賑やかだ。何事かと思いよく見ると、なんとグラウンド内でビアガーデンをやっていた。看板を見ると「さよなら大阪球場 ビア&シアターin STADIUM」と書かれてあった。これは入ろうと思ったが、係員に聞くと完全前売制でチケットはすでに売切とのこと。このイベントは翌日までやるそうだが、翌日分も売切だそうである(ビアガーデンに前売りというのが有るものなのか?)。
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さよなら大阪球場 ビア&シアターin STADIUM | 栄光の南海ホークス特別展 |
そして翌日。この日は11時から大阪ドームのウエスタンリーグ・近鉄−オリックス戦を観戦。その前に大阪球場に寄ってぐるっと周囲を一周。
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一塁側内野席と外野席の隙間 | 大阪球場卓球センター |
そして夕方18時半ころ、今度は関西在住の友人とともにまた大阪球場に行ってみた。当然ながらチケットは売り切れで、キャンセル待ちでも20時頃にならないと無理だといわれた。
しかたないので諦めて帰ろうとしたが、よく見ると入口のところで南海ホークスグッズを売っていた。おそらくこのイベントのためにわざわざ制作したのだろう。さっそく帽子と団扇、さらには「大阪球場の砂」というものを計2900円で購入した。
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南海ホークス帽(ちょっとチャチい) | 団扇(裏は無地) |
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大阪球場の砂 |
結局、難波の居酒屋で飲んだあと再び大阪球場の前に戻ってみる。すると、かつての南海ホークス応援団らしき人たちがトランペットを吹いたり旗を振ったりして騒いでいた。
そしてその中のひとりは奇遇にも同行の友人の高校時代の同級生であった。その同級生はホークスファンが昂じて南海電鉄に入社したという。友人とは18年ぶりの再会だったそうだ。
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その3ヵ月後の1998年11月15日、筆者は再度大阪に行く機会があった。ちょうど数日前に大阪球場の解体が始まったというニュースを聞いたので、難波に行った際に球場を見にいってみた。
球場の外にはすでに工事用のフェンスが張られている。その隙間から中を覗くとスタンドの一部はもう壊されていた。しかし場外馬券売場として使われている部分はまだ健在で、この日も多くの人出であった。
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すでに工事用フェンスが | 隙間からグラウンドを覗く |
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場外馬券売場前 |
場外馬券売場の前に競馬グッズの売店が有り、ふと目を向けると片隅になんと南海ホークスグッズが置いてあるではないか。しかも先日のイベントでは売っていなかった物がある。
南海ホークスグッズを売る店
その中の球団旗を眺めていると、ビールを片手に持ったオッチャンが寄って来て「わし、この旗むかし振っとったんよ」と言った。どうやらこのオッチャンもかつての応援団らしい。結局また球団旗(700円)、Tシャツ(2000円)、下敷き(400円)を買ってしまった。
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球団旗 | Tシャツ(かなりくたびれてきました) |
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下敷き(表裏) |
帰り際にまだ解体されていないスコアボードを見上げてみる。そこには1988年10月15日の南海−近鉄最終戦のスコアが掲示されていた。角度の関係で近鉄の選手名しか見えなかったが「オグリビー」や「真喜志」という懐かしい名前があった。解体は2002年までかかるそうだ。
わずかに見えたスコアボード
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そして最後に訪れたのは、1999年6月24日。この時にはわずかにスコアボードのみが残っていた。これは場外馬券売場のビルと一体化しているために、取り壊せないためであろう。結局スコアボードは2003年初頭にようやく解体されたようだ。
スコアボードのみ残存(1999年6月)